昭和十六年度「栃木県防空計画」によると、「本年度ニ於テ設置スベキ防空監視隊ノ位置、番号、名称、所属、区分、設備区分、編成要員等ハ左ノ如シ」とあり、一部塩谷地区を含む大田原監視隊下に一一の監視哨が配置された。本部は大田原一九七八ノ二(現 城山市営駐車場)大田原警察署内に置かれ、市域内では大田原監視哨(大田原町南町二、(旧大田原城跡))と佐久山監視哨(佐久山町大字佐久山四四六〇(御殿山))が設けられ、それぞれの要員は二四時間勤務態勢に入ったのである。
同十六年一月に野崎村で五一棟を焼く大火があった。四月一日から、小学校が国民学校と改称された。十三日には、その意外さに国民を驚かせた日ソ中立条約がモスクワで調印された。次第に積極化する日本の南進政策に、アメリカとの関係はますます悪化してゆくのである。