昭和十六年十月に成立した前陸相東条英機内閣は、六月の独ソ開戦を好機に、ABCDライン(アメリカ・イギリス・中国・オランダによる対日包囲網)を突破し、東南アジア・太平洋地域の征覇を策定したのである。十二月二日、山本五十六連合艦隊司令長官から「新高山登レ」の暗号電報が発せられ、同月八日未明、航空艦隊はハワイ真珠湾を奇襲し、米太平洋艦隊の主力に潰滅的打撃を与え、同時にマレー半島上陸をはじめとして、太平洋諸地域に攻撃作戦を展開したのである。「帝国陸海軍は今八日未明西太平洋において米英軍と戦闘状態に入れり」との六時の大本営発表は、軍歌と共に終日ラジオから流され、正午には「朕茲ニ米国及英国ニ対シテ戦ヲ宣ス」の詔勅を各職域などで聴取したのである。翌日各所で詔書奉読式や必勝祈願の神社参拝が行われたのは、当世の常態なのである。大勝利の緒戦後翌年前半までは、西はビルマ、南はインドネシア各島から、ニューギニア、ソロモン諸島、北はアリューシャン列島も征圧する破竹の勝報に、国内は湧きに湧いたのであった。ちなみに、この戦争は、「大東亜戦争」と呼称されたのである。