偽装網集荷

743 ~ 744
米軍が沖縄本島に上陸し、鈴木貫太郎内閣が発足した四月には、金田村長から各区長宛に、「偽装網集荷ニ関スル件」で次のような連絡もされたのである。
 
曩ニ御依頼申セシ飛行機用偽装網出来ノ上ハ結社毎ニ纒メ置カレ度シトノ通知有之候ニ付右様御取計へ願度候
尚作製部落名ヲ一見判明スル様、木札ヲ付セラレ度シ

(金田・第二一三)

 当初はB29機を太平洋上に迎撃した金丸原飛行場の「隼」なども、次第にガソリンを抜いて、山林中に機体を隠したりするようになる。
 そして五月、所在村では次のような通牒が受け付けられたのである。
  至急
  鉾飛庶第二三号
    建物借上ニ関スル件通牒
  昭和二十年五月一日
                                     鉾田陸軍飛行部隊長
   金田村長 殿
貴町(村)内左記建物中利用シ得ベキモノ一切ハ軍用トシテ当部隊ニ於テ借上致度ニ付予メ検討シ置カレ度

     左記
  一、官公私立学校、寺院、集会所、倉庫、民家等利用スベキモノ一切
  二、借上ノ時期 其ノ都度(早キモノハ五月上旬ヨリ)
(金田・第二一三)