目次
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第三編 社会
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第三章 戦後の市民生活
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第一節 第二次世界大戦終戦直後
被服払下げ願
749 ~ 750
極度に不足しているのは米や野菜類ばかりではなかった。農家が食糧の代りに衣類を求めた結果、町の人々はまたの名の「玉ねぎ生活」を強いられたのであった。しかもその住民自体が被服に困窮していた実状は、翌年度の左記の文書にもその切実感をみることができるのである。
昭和二十一年五月二十八日
栃木県立大田原中学校長 白鳥義平
那須地方事務所長 臼井鼎殿
一 被服払下ゲニ関スル件
本校職員被服ナク日常生徒指導ニ際シ不便致シ居リ候ヘバ貴殿ノ特別ナル御配慮ニヨリ被服払下ゲ下サル様及御願候也
一 被服上下 三拾七組
(「大高七十年誌」)