進駐軍による武装解除

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八月末から連合国軍(主力はアメリカ軍)が続々と進駐を開始し、同三十日にはその総司令官マックァーサー元帥も神奈川県厚木飛行場に降り立ったのである。その総司令部(G・H・Q)は、降伏文書に調印後の同九月に横浜から皇居前に移転した。ここからの相次ぐ指令が、日本を急激に変容させてゆくのである。占領軍は政府を通じての間接統治方式で、日本の非軍事化と民主化政策を矢継ぎ早に進めたのである。
 本県には、十月に進駐して来たのであった。十月六日、那須地方事務所長から各町村長宛「連合軍将兵来訪ニ関スル件」について、次のような通牒が伝達されたのである。
 
栃那総第八六七号
   昭和二十年十月六日
                                     那須地方事務所長印
 各町村長 殿
   聯合軍将兵来訪ニ関スル件
近日本県内ニ聯合軍将兵ノ進駐アル模様ニ有之従ツテ貴町村役場ニ何時之等将兵ノ来訪アルヤモ知レザルニ付テハ左記ノ点整備ノ上遺憾ナキヲ期セラレ度此段及通牒候也
 追テ貴町村内ニ適当ナル通訳者有之バ予約ノ上準備相成度
    記
町村勢一覧、町村内ノ事情ヲ明瞭正確ニ表示シ置キ説明ノ資料トスルコト
尚町村内ノ事情ニ付テハ如何ナル点モ正確ニ明答シ得ル準備シ置クコト

(金田・第二一三)

 まもなく、完全武装の米軍おおよそ四、五〇〇名が、トラック・ブルトーザなどの大型車輌をともなって、宇都宮中心に進駐して来たのである。のち当市域にも進駐してきたのであった。この米軍の任務は、武器類の一掃にあったようである。旧制大田原中学校小木曽滝男教諭の日誌「終戦前後の紫塚」には、次のように記されている。
 
 十一月二十九日 ……雨の中をアメリカ兵が校庭の砲車をトラクターで粉砕する。怪物のような破砕機トラクターが、泥の中でうごめき荒狂っている。
 十一月三十日 金丸原で飛行機でも壊すかのような爆発音がビリビリとガラスを揺がして響いた。

(「終戦前後の紫塚」―一教師の日記より―小木曽滝男 大田原高校所蔵)

 一方、十二月には大田原警察署長からも再度進駐軍への「民間武器ノ引渡ニ関スル件」が町村長へ通報され、隣組回覧板で「所持スル刀剣ヲ自分勝手ニ銘刀、或ハ家宝ナリト称シ提出シナイ」ような、「刀剣未提出ニ御注意」が各戸に知らされているのである。柔道・剣道・弓道の授業禁止もあって、大田原中では十二月に生徒に武道具類の払下げが行われたのである。