二月十七日、悪性インフレ抑制のための、「金融緊急措置令」が公布とともに施行されたのである。この日現在の預金はすべて払い戻しを封鎖され、一〇円以上の紙幣は三月六日までで廃止され、翌日から新紙幣(新円)に変ったのである。この新旧券の交換は一人につき一〇〇円までとされ、その他は全額強制的に預貯金とされた。そしてこの引出しは世帯主一か月三〇〇円まで、世帯員にはそれぞれ一〇〇円までと限定されたのであった。
かつて防空地下壕のあった現山の手一丁目一番一号地に、青空マーケットが店開きしたのもこの前後であったかと思われる。
改正選挙法によって、同二十一年四月に戦後初の総選挙が行われた。公職追放になっていた夫君に代って、戸叶里子代議士(栃木県)が最高点で初当選しているのも、男女同権が主張され、また革新的ムードにあった当時の社会の反映でもある。男子の配給タバコ量を減らして、女子にも配分したのが八月からでもある。
メーデーが復活し、五月十九日の飯米獲得人民大会、「食糧メーデー」にはまた、皇居前が赤旗で埋めつくされたのであった。見守る警官のサーベルが廃止され、背広・警棒のニューモードになったのはこの夏であった。