疎開学童引揚げ

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東京都などからの人員疎開は、前年九月に打切られた。逆に右のような状況下で、都下へ転入する一般人の抑制は当分継続されていた。ただ、集団疎開学童はすでに帰京を始めており、この二十一年三月には、次の書信のように全員引揚げを完了したのであった。
 
拝啓 愈々御清栄大慶の至りに奉存候
陳者東京都学童集団疎開事業に関しては永らく絶大の御指導御援助を仰ぎ以御蔭予期以上の成果を収め候段洵に肝銘に堪へざる次第に有之厚く御礼申上候
然る所本事業の完了に伴ひ目下残留中の疎開学童全部三月上旬を以て帰還のことと決定相成候間日取確定次第当該学校長又は学寮長より詳細御連絡可申上候
顧みるに一昨年八月学童の疎開以来一年半余の間殊に戦時下諸事困難の折柄にも不拘何等不自由なく日々を過し今日に至りたるはこれ偏重に関係各位の御厚情の賜物と小職初め教職員児童等一同感泣致し居候
目下残留中の児童等は特に不幸なる境遇に在る者のみに有之帰還後の生活も一人案じられ居る次第に候へばせめて残期の一刻にても一層幸福に其の日を過させ度切望の次第に御座候間誠に厚ケ間しく候へ共何卒此の際食糧其の他の援護方格別の御高配賜度只管奉願上候
先は帰還御挨拶旁々御願迄如斯御座候

                                           敬白
    昭和二十一年二月二十三日
                               東京都栃木出張所長 今瀬珣一
   金田村々長 殿
    追て乍御手数関係各位へも宜敷御伝達相煩度願上候
(金田・第二一五)