昭和二十二年

758 ~ 759
 六・二〇  主食の遅配は全国平均二〇日
 七・五   全国の料飲店、本年中休業(後に二十三年四月末まで延長となる)
 九・三   日雇労務者の賃金が一日二四〇円ときまり、「ニコヨン」の名称おこる
 一一・二五 共同募金運動はじまる
 四月から、六・三・三・四制による新制中学校が発足した。しかし、独立校舎が間に合わず、小学校に間借りの状態を数年は続けた町村もあったのである。
 神話と伝説とから解放された人間天皇は、民情視察と国民への激励をこめて全国各地を回られたのである。九月八日午後一時一〇分、塩原から奉迎場の狩野小学校(現 西那須野町立三島小学校)に、ブラスバンドの「君が代」吹奏裡に両陛下が到着された。益子万吉大田原町長の音頭で、万歳三唱がこだました。旧制大田原中学生や大田原高女生も市域住民も参列した二万余の群集に、天皇は例のカンカン帽を振ってこたえられたのであった。