五・六 酒類が自由販売になる
八・一七 東北本線列車転覆、松川事件発生
一〇・一 さつまいもが自由販売となる
一一・一 「人は右」の対面通行実施
一一・一五 お年玉つき年賀はがき発売
「女子が野球など」と、首をかしげる大人もいる時世であったが、ブルマー姿で猛練習を積み重ねた大田原女子高ソフトボール部(監督 堀内肖吉教諭)は、第四回秋季国体で堂々と優勝したのである。思うに、昭和五十五年の「栃の葉国体」で、当市がソフトボール開催地となった理由の一つでもあるので、次にその経緯をたどってみる。
大女高は七月二十日の県下大会で、前年度の覇者松原高(現 宇中女)、現在は最右翼の須賀高(現 宇短大付属)、宇学園(現 宇女商)を破って優勝した。続いて二十三、四日に行われた東京目白学習院での関東大会では、埼玉県松山高、神奈川県平塚高、千葉県東金高に連勝し、八月八、九日の第一回全日本女子ソフトボール大会に関東地区代表として、兵庫県西宮球場に臨んだ。ただ、第一回戦で北陸の泉ケ丘高に勝ちながら、二回戦で四国の坂出高に3-6Aで敗れてしまった。
しかし、九月の国体県予選で再び優勝し、二十三、四日宇都宮市県営総合グラウンドで行われた関東地区予選では、また前回と同じ各県代表校を抑えて、国体出場権を獲得したのである。
東京国体の開会式は十月三十日夕刻、明治神宮外苑で挙行された。競技は小石川運動場で翌三十一日から開始された。大女高チームは先ず八月の全日本での宿敵四国代表校(今回は丸亀高)を降し、続いて東海代表三島高に勝ち、十一月二日の決勝戦で中国代表広島安田学園と対戦、2-3で迎えた七回表に逆転、ついに4-3で待望の全国制覇を達成した。
秩父宮妃から授与された優勝旗を手にして、三日一九時二〇分大田原駅に到着した。「地元初の全国優勝チームの歓迎は折からの商工祭とダブッてまさに熱狂的、駅頭で益子(万吉)町長、吉沢(修隆)PTA会長、鈴木(奎吾)校長らの祝辞を受けた一行は、祭ばやしを先頭に、祝優勝の万灯や提灯行列に囲まれて、十三夜の月光の下を行進、町民の歓呼に応えた」(「朝日新聞」昭和二十四年十一月五日付)。
しかし、九月の国体県予選で再び優勝し、二十三、四日宇都宮市県営総合グラウンドで行われた関東地区予選では、また前回と同じ各県代表校を抑えて、国体出場権を獲得したのである。
東京国体の開会式は十月三十日夕刻、明治神宮外苑で挙行された。競技は小石川運動場で翌三十一日から開始された。大女高チームは先ず八月の全日本での宿敵四国代表校(今回は丸亀高)を降し、続いて東海代表三島高に勝ち、十一月二日の決勝戦で中国代表広島安田学園と対戦、2-3で迎えた七回表に逆転、ついに4-3で待望の全国制覇を達成した。
秩父宮妃から授与された優勝旗を手にして、三日一九時二〇分大田原駅に到着した。「地元初の全国優勝チームの歓迎は折からの商工祭とダブッてまさに熱狂的、駅頭で益子(万吉)町長、吉沢(修隆)PTA会長、鈴木(奎吾)校長らの祝辞を受けた一行は、祭ばやしを先頭に、祝優勝の万灯や提灯行列に囲まれて、十三夜の月光の下を行進、町民の歓呼に応えた」(「朝日新聞」昭和二十四年十一月五日付)。
大田原女子高国体ソフトボール優勝表彰状
(大田原女子高提供)