三・一四 日本万国博覧会、大阪で開幕(九月十三日に閉幕、入場者六四二一万人)
この年一月二十八日の各新聞紙上に、「大女高、大田原東高校と改称」の記事が突然報道されたのである。午後には生徒会臨時総会が持たれ、以降ロングホームルーム、職員会議、千草会役員会、PTA理事会などの会合が相ついだ。校名変更反対の大勢の中で、県教委も二月県会への議案提案を見合せた。そして定時制第一回の卒業式は、全日制とは別に夜間に挙行し、四五名中の男子三三名も大田原女子高卒として巣立っていったのである。経済成長に伴って求人難がひどくなった折、中学卒を地元企業に吸引しようとした要請に応えて、大田原女子高に夜間定時制を併置した結果の一波乱であったのである。
前後して、農家では米の生産調整のための減反問題が、話題になってきたのである。