先年末から一挙に二倍にもはね上がる品物もでて、「狂乱物価」とさえいわれた。「省エネ」、「省資源」の言葉が流用され、「消費は王様」から「節約は美徳」へとひょう変していったのである。同四十七年七月に組閣して、庶民出身と「日本列島改造論」、九月の日中復交で人気上々だった田中角栄首相にもショックが見舞った。この四十九年十月にわかに、「金脈」問題が浮上して、十二月八日に退陣、翌日三木武夫内閣と交代したのである。
これより一か月余前の十一月一日、市制二〇周年記念式典が挙行され、「市民憲章」が公表され、未来ある大田原市の発展を祈念し、祝福した。この日に前後して、各家庭に南部鉄栓抜きが贈られ、大田原地区中心に多彩な記念行事がくり広げられたのである。以下、「広報おおたわら」によって記念行事の内容を記し、第三編「社会」の結びとする。