昭和四十五年「全国新幹線整備法」が制定された。このことは、国民経済の発展と、国土の均衡のとれた開発と、国民生活の向上を目指す総合開発を目的としたもので、これに基づいて東北新幹線工事は翌年の十一月に着工したのである。
従来の東北本線は、東北地方を縦貫する大動脈として重要な役割を果してきたが、近年の輸送量の増加は、線路容量的にみて、ほぼ限界に達しつつあるという。これを補うため、また、一層強化充実を図るために、新幹線の計画が行われたのであり、とりあえず東京―盛岡を結ぶ計画である。
総工事費は八、八八〇億円でスタートし、以後物価の高騰の影響、環境保全、対外協議、防災対策の強化、上野駅新設等の計画変更もあって、現在二兆五、九七〇億円(五十六年度)となっている。
当線には、工事着手以来の問題点として、一つは、国鉄財政再建途上にあっての工事費の調達と、一つは、埼玉県与野市以南の環境問題に端を発した建設反対運動とがある。
当初の完成予定は昭和五十一年度とされていたが、同六十一年度に変更された。
本市に関係する最寄り駅には、那須塩原駅があり、塩原・那須温泉郷の玄関口として、また周辺地域の窓口の役割を担うことになり、また、遠距離旅客への利便が図られることにもなる。盛岡までの一部開通は五十七年六月である。