大田原駅

828 ~ 832
大田原駅舎は東野鉄道開通一年前の大正六年(一九一七)に造られたのである。構内の敷地面積一二、〇四〇平方メートル、建物一、四八五平方メートル、構内には、上下線二〇〇メートル、貨物線五四メートルの線路及び引込線が敷設されていたのである。
 駅舎は同三十年代には老朽化もはげしく、全国屈指の貧弱な駅のささやきもあり、市の都市計画で駅前から寺町方面へ道路の拡張整備がなされたのであるが、その機会に鉄筋の近代的な駅舎に改築する計画が進められたが、遂にそれは脚光を浴びずに終ったのである。

東野鉄道大田原駅舎

 東野鉄道は同四十三年十二月十五日に廃止されたが、その敷地は、現在東野交通のバスターミナルとして使用されているのである。
 第5~9表に示すのは、当駅に関する乗降人員調べ及び時刻表である。
第5表 各駅乗降人員調べ
(自昭和一四・二 至昭和一五・一)
駅名普通定期団体回数
西那須野一九〇、九四七四二、四八〇一六、一二二三五〇
乃木神社前一、三八七七八〇一、六七一
成田山前六九一一七、五五〇
大田原一三六、五五六一二〇、〇〇〇八、九九〇一、三七五
中田原七五九一八〇一二四
金丸原二〇、四二〇九、七二〇九、〇九九一八一
白旗城趾前五一二一、四四〇
黒羽九二、三七六四五、三〇〇九、七六〇八四四
四四三、六四八二三七、四五〇四五、七六六二、七五〇
 
駅名一日平均割合
西那須野二四九、八九九六八四・六三四・二
乃木神社前三、八三八一〇・八〇・五
成田山前一八、二四一五〇・〇二・五
大田原二六六、九二一七三一・二三六・六
中田原一、〇六三三・〇〇・二
金丸原三九、四二〇一〇八・〇五・四
白旗城趾前一、九五二五・三〇・三
黒羽一四八、二八〇四〇六・二二〇・三
七二九、六一四一、九九九一〇〇・〇
(「栃木県史 史料編・近現代七」)

第6表 大田原駅乗降客者
乗者降者
総数普通定期総数普通定期
昭和36425,549206,729218,820462,069243,249218,820
〃37414,126190,896223,230451,268228,038223,230
〃38400,802169,772231,030433,215202,185231,030
〃39380,064152,244227,820401,039173,219227,820
〃40302,897116,507186,390301,630115,240186,390
(「市勢要覧 大田原」1966)

第7表 貨物
品名1日平均
t
米,麦,たばこ,葉とうがらし3.9
セメント,肥料5.7
(昭和34年大田原駅資料)


第8表 大正年間の時刻表


第9表 全盛期を過ぎたころの時刻表
(昭和35年6月1日改正)

 「大田原読本」(昭和十年発行)によれば「大田原停車場」については次のように記されている。
大田原停車場は町の東北寺町にあって、東北本線西那須野を起点とする東野線の要駅である。(中略)大田原駅より西那須野駅までは九分、黒羽駅まで十七分、終点である那須小川駅までは四十分を要し、那須郡中部を連絡する重要交通機関となっている。
大田原町はこの鉄道の為に駅前の道路は広められ、荒町通りへ通ずる道路も出来て、町は目立って立派になり、活気をみせて来た。駅前は乗降者によって賑ひ、貨物置場には、貨物が山と積まれるやうになった。近年は発着の貨物も増加し、客車貨物車の発着もしげく、乗降客の数は一年間におよそ十一万人に及んでいる。


東野鉄道時刻表(昭和35年6月1日)

大田原駅で取扱われる貨物は、其の数が多く種類もまた少なくない。発送貨物は主に隣り村から積み出される農作物であって、米・麦・煙草・小麦が大部分を占めている。米は野州米として東京・横浜方面に送られる。小麦は宇都宮・小山方面に送られ、大部分は製粉の原料となっている。なお大麦・漬物等も発送貨物の重要なものであって、漬物は遠く北海道や樺太にまで送られるとのことである。到着貨物の主なるものは農家で使用される諸種の肥料が大部を占め、駅から各地の肥料商へ運ばれる。其の他セメント・石炭・大豆・織物・煙草・ビール・揮発油等も到着貨物の重要なものである。
大田原駅から宇都宮駅までおよそ一時間二十分にして達することが出来、東京上野駅までは三時間半、本州の北端青森へも僅か十五時間にして到着することが出来る。