東野鉄道の最盛期は昭和二十二・三年のころであった。第二次大戦後の混乱時代に、買い出し部隊といって、物々交換によって食糧を得るため都会と田舎を往復した人々が激増し、年間二一〇万人もの乗客があったのである(開設当時は一五万人位)。
また同三十年ころには、映画会社の撮影の場所として利用されたのである。古い機関車(米国ホールドウィン社の一八九六年製蒸気機関車)と周辺の情景は、明治・大正時代を再現するのに絶好な場所として選ばれたのである。長門裕之・南田洋子主演の「隣の娘」や鉄橋の場面で印象的な「路傍の石」等はそれらの代表的な映画である。
鉄道の運営は同三十年ころから悪化しはじめたのである。そのころより東野のバス部門が次第に進出し、鉄道部門の客が減少して貨物輸送もトラックにとられる状態となり、同三十七年ころから赤字経営に苦しめられてきた。同四十一年十月には、台風により鉄橋(蛇尾川)の橋桁が落ち、一〇〇日間の休業を余儀なくされて、遂に廃止に踏み切ったのである。