早速東野鉄道は政府へ陳情書を提出している。それによれば、「(前略)若シ右路線(野州電鉄をいう)ニシテ許可セラレタル暁ニ於テハ弊社唯一ノ生命タル八溝山林ヨリ搬出スヘキ荷物ハ勿論旅客ニ於テモ弊社社線ニ依ラス、悉ク野州電鉄ノ線路ニ依ル……(以下略)。」(「栃木県史 史料編・近現代七」)と述べ、経営困難、果ては自滅の悲境に陥ることを強く訴え、特別の配慮を願っているのである。
陳情書に対して実地調査がなされ、復命書が提出されたのであるが、その内容の一部を要約すれば、次のようである。
○両線を比較したとき、東京方面への輸送は、野州の方が有利である。
○野州が、大子まで路線開通した場合には、須賀川・大山田などが野州に吸収され、東野にとっては影響甚大で致命傷ともなる。
○野州が大子まで路線敷設すると、小川までの東野の延長は価値がなくなる。
○結論として、同じ地域にしかも比較的閑散なところに、同じ目的をもった二つの鉄道を並行して走らせることは、国家経済上得策でなく、既成の東野鉄道の発展を阻害し、生命を制するとして、野州電鉄の出願は企画は良しとしても免許しない方がよい。
このような理由から野州電鉄は関係方面から免許されなかったために、この世に出現せずに終止符が打たれたのである。かくして、佐久山・大神の人々の念願は断ち切られたのである(「栃木県史 史料編・近現代七」)。