大正期の国道・府県道

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明治時代の道路政策は、路線の確定、築造方法の制定等、制度面の整備が逐次行われ、道路事業も次々に拡大されてきたが、基本となる「道路法」は、明治二十一年の最初の立案以来、実に三〇年経過後の大正八年になって初めて成立したのである。これが「旧道路法」である。
 旧道路法は、大正八年四月十一日法律第五八号として公布され、勅令第四五九号によって施行された。これによると、道路は、国道・府県道・郡道・市道・町村道の五種に分けられたのである。その規定によると、
一、国道 東京市より神宮、府県庁所在地、師団司令部所在地、鎮守府所在地又は枢要な開港に達する路線及び主として軍事の目的を有する路線(幅員四間以上、傾斜三十分之一以下)。

 二、府県道 その府県内で府県知事が認定した道路(幅員三間以上、傾斜二十五分之一以下)。
 三、市道 市内の路線について市長の認定した道路。
 四、町村道 町村内の路線について町村長の認定した道路。
 大正十二年三月から郡制が廃止されるので、郡道の費用を負担すべき団体がなくなるため、大正十一年道路法の一部改正がなされ、道路の種類のうちから郡道の部分が削除されたが、道路の新設または改築に要する費用については、一般的に地方公共団体の負担とし、軍事目的をもつ国道については、全額国庫負担とされた。