道路元標

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日本の道路元標は東京都中央区、日本橋の中央が元標である。江戸時代の初期、慶長八年(一六〇三)徳川家康は日本橋を架橋、翌九年全国交通の中心に定め、東海道、奥州街道を始めとする諸街道の里程元標とした。いわゆるここから里程を測量して一里塚を設けたのである。この制度は明治政府に引き継がれた。この道路元標は、日本道路史上貴重な存在である。
 市町村の道路元標の設置については、大正八年十一月「道路法施行令」によって、各市町村に一か所設けることとされた。同十一年八月には、「道路元標に関する件」の内務省令で材料は石材その他の耐久性に強いものを使用し、正面には、市町村名を明記させ設置させられたのである。本市の旧町村の道路元標位置は、次のとおりである。
 
大田原町 大田原地内府県道佐久山大田原と大田原芦野線分岐点(現 金灯籠十字路)

野崎村 大字薄葉地内府県道佐久山野崎停車場線と役場に通ずる分岐点(現 下薄葉十字路)

金田村 大字倉骨地内府県道鹿畑氏家線と馬頭大田原線との分岐点(現 ライスラインと県道大田原小川線との交差点付近)

佐久山町 大字佐久山地内府県道佐久山大田原線と佐久山矢板線の分岐点(現 佐久山上町日野屋前)

親園村 大字親園地内佐久山大田原線と役場に通ずる町村道との分岐点(現 親園農協前)

(「昭和二六年八月大田原土木事務所 道路橋梁調査資料」)

 道路元標は、府県庁・師団司令部・鎮守府又は市役所の所在地を国道又は府県道の路線の起点終点となすときは、市町村における道路元標の位置によるとされた。
 道路の起点・終点または経過地を標示した道路元標も、現行の「道路法」(昭和二十七年法律第一八〇号)では、道路の付属物として定めているだけで、その設置義務や様式などについての定めは示されていない。

道路元標(佐久山町)