そこで、三島村境那須野村永田区から大田原宿までの街道を修繕すると同時に、経塚から大田原宿までの旧道の屈曲多い道路の付け替えを行い、車場通行の不便を取り除こうと、大田原宿民と那須野村民とが、県知事樺山資雄に「道路附換願」と「道路修繕願」を明治二十年六月に提出して、新設改良工事を行ったのである。現在の地方道黒羽―西那須野線の前身である。これらの願書を次に示す。
道路附換願
三島村街道那須郡大田原宿地内字経塚
一新道長三百四拾九間五分 幅四間弐分五厘
(中略)
一旧道長三百六拾五間 幅三間五分
(中略)
右旧道ハ屈曲多ク□□粗悪ニシテ車馬通行不便ニ付公衆ノ便宜ヲ計リ宿内協議ノ末支障之無ニ依リ宿内戸別人夫ヲ以テ別紙絵図面ノ通附換仕度□□実地御検査ノ上御聞届被成下度(以下略)
明治二十年六月
那須郡大田原宿
人民惣代 飯田亀寿
川上直吉
川上安太郎
栃木県知事 樺山資雄殿
道路修繕願
大田原宿ヨリ三島村街道
那須郡大田原宿字経塚ヨリ同郡那須野村字永田区マデ
一道路長千三百六拾七間 幅四間
内三百七拾弐間 大田原宿地内
九百九十五間 加治屋開墾地内
右道路ノ儀悪路ニシテ車馬通行不便不尠宿人困難罷在候付宿村一同協議ノ末戸別人夫及ヒ近村内人夫ノ助力モ有之候間右修繕仕度依テ至急御聞届被成下度此段奉願候也
明治二十年六月
那須郡大田原宿願人惣代
川上直吉
飯田亀寿
川上安太郎
同郡那須野村願人惣代
黒田恒七郎
興野寿
戸長 神田貞
栃木県知事 樺山資雄殿
(大田原・第九三)
道路付け替えの起点は大田原宿荒町成田忠三養蚕小屋(現 住吉町一丁目六ノ二二益子喜一宅前)から沢口直吉宅前(現 住吉町一~四~一四前田食品店前)を経て、成田山道入口(現 本町三丁目丸山小鳥店南東)前に出、経塚稲荷前を経由して、新道開削との終点を結ぶ路線である。在来は成田山西側を通過していた路線を、現在のように東側に替えたのである。大田原宿より三島村境まで延長二、一五六間四尺五寸(三、九二五メートル)。うち大田原宿内九七四間二尺五寸(一、七五三メートル)である。幅四間(七・二八メートル)。工費五九九円八〇銭九厘。工事は工事費の民費徴収が思うにまかせず、地方税補助金の補助見込がついてから着工されたのであった。着工は、明治二十一年八月十五日、完成は同年十月三日である。これによって塩原街道は全線が開通したことになる。
名称は、三島村街道、塩原道路、那須停車場道、西那須野街道などと、大田原方面から呼称された路線である。次に地方税補助願が残されているので記す。
地方税補助願
那須郡大田原宿ヨリ那須停車場ヲ経テ同郡三島村境ニ達スル塩原道路之儀客年中仮ニ修繕相加ヘ候得共目今ニ至リテハ概シテ悪路泥濘車馬ノ通行頗ル困難ヲ極メ行旅ノ不便不尠候ニ付今般町村費ヨリ金三百円有志者寄附金百円合金四百円ハ既ニ準備相整ヒ候得共目下民費多端ノ折柄他ニ出途ノ方法モ無之殆ント苦慮罷在候就テハ何卒前陳御洞察特別之御詮議ヲ以右道路修繕費中ヘ地方税ヨリ金弐百円御補助被成下度別紙図面亦仕様帳相添此段奉願上候也
明治廿年十月
那須郡大田原宿惣代
川上直吉
益子甚四郎
江連政盛
同郡那須野村惣代
秋元守三
印南丈作
戸長 神田貞
栃木県知事 樺山資雄殿
(大田原・第九三)