道路開削願
客年中塩谷郡矢板村江国道線御変換ニ付テハ大田原宿ヨリ通行為便利沿道村ニ協議之上自費ヲ以テ別紙絵図面之通リ新道開削仕度右ニ付沿道村ニハ勿論其他故障之儀無御座候官有地ノ拝借之儀ヲ返納ノ上官有道敷ニ御編入奉願民有地ノ儀ヲ免租ノ上同様奉願候条至急御聞届ケ被成下度絵図面并ニ仕様書相添連署ヲ以テ此段奉願候也
明治十八年四月
那須郡薄葉村
人民惣代 蛭田儀平
渡辺勇三
阿□静
佐久山宿戸長 斉藤武助
那須郡那須野村
人民惣代 斉藤半次郎
同郡大田原宿
人民惣代 渡辺利八
山本静衛
若林五浪次
飯田亀寿
石川初太郎
青柳長吉
阿久津正
戸長 山崎章
塩谷郡土屋村
人民惣代 三浦喜一郎
阿久津久四郎
五月女八郎
同郡針生村
人民惣代 大森七造
坪山仁平
高柳才三郎
坪山平重郎
同郡矢板村
人民惣代 小野崎吉太郎
大谷津寅治
坂巻弥一郎
大島喜四郎
戸長 坂巻利四郎
栃木県那須郡長 坂部教宣殿
(大田原・第九三)
起点は大田原宿新田町(現 末広町十字路)陸羽街道(旧奥州街道)より分岐し、終点は新設なった国道の接続地点までである。総延長三、五四三間(六、四四八メートル)。うち大田原地内延長一、〇二五間(一、八六五メートル)、加治屋開墾地内延長四一五間(七五五メートル)、那須野村地内延長一、五九七間(二、九〇七メートル)、薄葉村地内延長五〇六間(九二一メートル)である。幅五間(六・八メートル)のうち側溝両側に三尺(〇・九メートル)。土橋四か所、工費一、〇六二円九〇銭、人夫七、〇八六人を要し、明治十八年七月二十八日に完成したのである。