道路愛護と作業コンクール

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戦後の復興はすさまじく、昭和三十年代にはいわゆる「神武景気」を迎え、経済の振興にともない道路は、交通機関の激増、自動車の大型化・スピード化・重量化等で、その損傷は増大するばかりであった。県及び市町村はこれらに対応して維持管理等に努めたが、いかんとも致しがたい現状であった。
 県内の道路を見ると、国道及び県道は、実に三、〇〇〇キロメートルの延長を有し、これに延長一〇、〇〇〇キロメートルに及ぶ市町村道が連係して、道路網が県内くまなく構成され、すべての道路交通の根幹をなしていたのである。
 道路の舗装関係を見てみると、国県道の舗装済延長三七三キロメートル、一二・六パーセント(昭和三十五年三月末)にすぎず、約二、五〇〇キロメートルは砂利道で未改良は約三、一〇〇キロメートルもあり、市町村道約一〇、〇〇〇キロメートルの大部分は砂利道なのであった。
 これらの市町村道は、昭和七、八年の農村振興等の補助事業で改良が行われたもので、以来市町村の単独事業等で継続的に実施されてきたが、それは一〇、〇〇〇キロメートルに及ぶ道路網に比すればほんの一部分であり、大半は道路としての使命を果しえない状況であった。
 首長は重要施策として、積極的に道路の改良・舗装・橋りょう等の工事を執行していたが、膨大な経費が必要であると推測され、年間予算額上からみれば、永い期間を費さなければ完成できないこととなるのであった。
 しかし、道路は絶えず損傷がくりかえされ、現況の維持さえ困難な状態なので、道路交通の確保を期すためには、県民の深い理解と積極的な協力を得るよりほかにないところまで、道路行政は追い込まれたのであった。
 そこで昭和三十四年七月栃木県新生活推進協議会において、道路愛護強調運動が提唱され、その後十月にいたり、県内各市町村の積極的な発議によって、県下一斉に五四団体の道路愛護会が結成され、ついで連合会が設立されたのである。
 大田原市道路愛護会も、時を同じくして結成されたのである。
     大田原道路愛護会会則
  第一条 大田原市道路愛護会と称し、事務所を大田原市役所内に置く。
第二条 本会は市内の国、県、市道路の維持保全を期するとともに、道路愛護思想の普及を図ることを目的とする。

  第三条 本会は前条の目的を達成するため左の事業を行う。
    一、道路愛護作業の実施
    二、道路に関する公共心の涵養と道路愛護思想の普及
    三、道路維持保全に関する調査及び関係方面への連絡又は意見進達
    四、愛護功労者の表彰
    五、その他目的達成に必要な事項
第四条 本会は大田原市内に居住し、この会の趣旨に賛同する市民をもって組織する(以下略)。

 会長は大田原市長とし、金田・野崎・親園・佐久山・大田原の旧町村単位に支部が置かれた。
 各支部の事業推進のための活動状況をみると、自主的計画として、主要市道のトラック配車計画案を立案し、月例日を定めて路面補修等の軽易な作業、排水側溝の清掃、路上放置物件の取り除き作業等が実施された。また、子供道路愛護会を結成し、簡単な道路の清掃、路上危険物の取り除き等の作業を自主的に行うよう指導し、特に交通安全危険予防には注意させた。目的達成には、映画会の開催や、小中学生の道路愛護ポスターの展示等を行ったのである。
 市では五台のダンプトラックとモーターグレーダーにより、市道路の維持保全には全力を集中して対処したのである。各支部から要請のある暗きょ、用排水水抜きのためのコンクリート管、あるいは路肩護岸補修用資材等の要望についても、調達して支給したのであった。愛護会が結成され、愛護思想の普及と作業を行ったところ、その公共性を市民は強く認識し、郷土愛の精神を発揮してこの趣旨に共鳴し、全市民が愛護の奉仕に従事せられるなど、数々の尊い業績が生まれ、道路愛護事業の拡大推進がなされ、輝かしい成果を収めたのである。
 特筆すべきことは、昭和三十五年に第一回道路愛護実施週間を定め、県下一斉に道路愛護作業コンクールが開催されて以来、連続一〇年金賞を受賞し、栃木県道路愛護連合会より表彰の栄誉を受けたのである。この間において、昭和三十七年十一月には、日本道路協会から功績を認められて表彰状が贈られ、昭和三十九年八月には、建設大臣から業績に対して感謝状が贈呈された。昭和四十五年六月には、栃木県知事から特別表彰状が贈られたのである。
 
     表彰状
    大田原市道路愛護会
      会長 鈴木邦衛殿
貴会は道路の重要性を深く認識され昭和三十五年度栃木県道路愛護連合会主催第一回道路愛護作業コンクールに参加以来第十回に至るまで全市民一致団結あらゆる困難を克服して精進努力毎回見事に金賞の栄冠を獲得されましたその功績は誠に驚嘆にあたいするとともに他の亀鑑となるものであります

  よってこれを表彰いたします
   昭和四十五年六月十三日
                                   栃木県知事 横川信夫
 次に愛護作業コンクールに参加した地区を記すと、
昭和三十五年度
○県道佐久山川西線、宇田川花園地内、延長一、五〇〇メートル、代表伊藤憲、大野英、金賞受賞
○県道佐久山川西線、鹿畑地内、延長一、三〇〇メートル、代表磯健治、銅賞受賞
昭和三十六年度
○市道南区上の原線、吉沢西八木沢地内、延長七〇〇メートル、代表小沼平重、金賞受賞
○県道親園南金丸線、南金丸地内、延長一、〇〇〇メートル、代表小泉敦、銀賞受賞
○県道親園南金丸線、五日坂地内、延長一、〇〇〇メートル、代表田中兼蔵、銀賞受賞
昭和三十七年度
○市道南区上の原線、延長六五〇メートル、代表関谷蔵太、金賞受賞
○市道倉骨東部線、延長六五〇メートル、代表松本一次、銀賞受賞
○市道中田原荒井線、中田原地内、延長六〇〇メートル、代表渡辺為吉、銀賞受賞
○市道小滝木立線、小滝地内、延長六五〇メートル、代表渡辺力、銀賞受賞
昭和三十八年度
○市道南区上の原線、上の原地内、延長一、〇〇〇メートル、代表小沼智、金賞受賞
○県道大田原芦野線、中田原、市野沢、羽田地内、延長八、五〇〇メートル、代表渡辺為吉、金賞受賞
昭和三十九年度
○市道市の沢今泉線、富池松原地内、延長六〇〇メートル、代表相馬武、金賞受賞
○県道川西東那須野停車場線、練貫地内、延長六〇〇メートル、代表藤栄松蔵、金賞受賞
昭和四十年度
○市道市の沢今泉線、船山地内、延長六二〇メートル、代表人見勇作、金賞受賞
○県道大田原小川線、大和久、鹿畑、倉骨地内、延長二、八〇〇メートル、代表三浦矗、銀賞受賞
昭和四十一年度
○市道市の沢今泉線、市の沢地内、延長八九〇メートル、代表永塚岩一、金賞受賞
○県道親園南金丸線、鹿畑地内、延長二、三〇〇メートル、代表三浦矗
昭和四十二年度
○市道市の沢今泉線、戸野内、岡地内、延長一、二一〇メートル、代表矢板強、金賞受賞
○県道蛭田喜連川線、福原、福原南部地内、延長二、〇一二メートル、代表永井清三、銅賞受賞
昭和四十三年度
○市道市の沢和久線、町島地内、延長五四〇メートル、代表君島俊行、金賞受賞
昭和四十四年度
〇市道市の沢今泉線、今泉地内、延長八八六メートル、代表岸明、金賞受賞

 昭和三十五年度から一〇年間に行われた愛護作業の市・県道延長は三〇、〇〇八メートルになり、一四、七四三名の労力と資材等を費し、当時の工事費に換算すると、三七、〇四〇、三二〇円になるのである。
 金賞連続一〇回、銀賞九回、銅賞二回、出品二一か所全か所入賞。
 道路愛護協力団体および功労者は、知事賞団体自治会一二、子ども会二七、個人八。連合会長賞団体自治会一、子ども会四、個人四。日本道路協会会長表彰大田原市(昭和三十七年)。知事表彰大田原市(昭和三十九年)、建設大臣感謝状大田原市(昭和三十九年)、建設大臣表彰佐久山下町子ども会(昭和四十二年)、平沢子供会(昭和四十年)。
 このように、本市道路愛護会は地域の実情にあわせ、積極的に道路愛護思想の普及啓もう、事業推進に努力していることも含めて、これらの栄冠が得られたものである。本市の業績は他市町村の模範とされ、道路愛護の大田原市として、県下にその名を知られ、県市道路改良には大きな協力を得ているのである。

道路愛護会建設大臣感謝状