岩井橋竣功式典

912 ~ 915
この橋りょうは、県道大田原―氏家線、箒川筋に架橋されている橋りょうで、昭和七年八月、佐久山尋常高等小学校「郷土地誌資料」によると次のように記されている。
 
町ノ北郊ニ架シテアル箒川ノ岩井橋ハ明治三十四、五年頃最初ノモノガ掛ケラレタノデアルガソノ後三回位架ケ換ヘヲナシ現在ノモノハ大正十五年ニ架シタモノデアル、昔ハ如何トイフニ橋ハ極ク粗末ナ幅三四尺ノ貧弱サデ時ニ流出スルモノデアッタソシテ船ガ交通ヲ助ケテヰタノダッタ。
参勤交替ニ北国ノ大名ガ上下スル時ニコノ橋ヲ故意ニ落シテ金銭ヲ多ク町ニ落サセタトイフコトデアル、然シ伊達侯ナドハ架橋用具ヲ所持シテヰテコノ手ニハ乗ラヌトノコト。

 岩井橋は、明治以来何回となく架けかえられてきたが、太平洋戦争後の車両の大型化と交通量の増大にともない、地元からは早くから永久橋に架けかえの請願書が、関係機関に提出されていた。県においては、昭和三十一年度より継続事業として工事に着工、翌三十二年十月九日には完成を見たのである。
 地元では、新しく永久橋に生まれかわった岩井橋を祝う式典が、十月九日に盛大に行われた。次にその様子を記す。
 
   空前絶語の岩井橋竣工式
     喜びに溢れた地元の人々
地区民の願いであった岩井橋が現代技術の粋を誇るPSコンクリートの永久橋となり、大田原、氏家線をつなぐ箒川横断の交通の要路で、この竣工渡り初め式は九日午前十時より、空前絶語といわれる佐久山有史以来の祭典をあげられた。岩井橋は全長一七三メートル、幅六メートルで、総工費三、三〇〇万円、橋脚は潜函工法により体裁と堅牢がねらいである。
式典は、市当局をはじめ関係機関にお尽力を得た高瀬伝議員、鈴木邦衛県議参列、県側としては、木村副知事、その他土木関係多数の参列を得て盛大な式典であった。

岩井橋落成を祝う町民(大正15年)

神官の修祓の儀に始まり、工事経過報告(大田原土木事務所長)、副知事の挨拶、市長の式辞(益子万吉氏)、感謝状の贈呈、来賓の祝辞は、国会議員代表の高瀬伝氏、県会議長の小田垣健一郎氏、地元県会議員代表鈴木邦衛氏、市議会議長の加藤金松氏、旧佐久山町代表石崎正明氏。
祝辞終って、渡り初めの式となり三夫婦そろった。佐久山の杉江初太郎さん一家、福原の阿久津初太郎さん一家、親園の池沢子之吉さん一家と、木村副知事を先頭に地元関係者など多数が渡り初めをなし、列は参集の方達も吾も吾もと後を絶たなかった。
当日の仕事として、余興には佐久山の生んだ声優高橋和枝一行の各種演芸、歌謡曲荒井恵子、床屋の英ちゃん(下門英二)外数名、曲芸鏡味勢寿郎、百面相久世進、落語三遊亭歌風、奇術松旭斉静香、民謡万歳東大黒東恵子、落語林家三平。
自衛隊音楽行進。小学生の旗行列。四百名余の仮装行列。子供相撲。関東一の関白獅子舞。各町の山車数台。花火大会(夜間迄花火打揚)等多彩のプログラムを竣工協賛会が総力をあげて準備万端された。
余興中には、高橋和枝さんの実演あり、佐久山中学校の全校生徒の仮装行列、町内の山車のお練りに旧全町を挙げた盛大さであった。特に自衛隊の音楽行進と航空自衛隊の六機編隊の橋上低空飛行は実に壮観であった。
この空前絶後の祭典を観た老若男女の想は如何だったろう。更に佐久山時代より懸案であった橋梁の竣工に以上より貢献されてあった方々のこの式典に際しての胸中はどんなであったろうか……
この永久橋にかわった岩井橋が箒川を境にした旧佐久山が産業交通の興隆に益することは、論を待つまでもなく地区の総和によって市政に協力すると共に発展させるべく努力しなくてはならないだろう。
岩井橋の竣工式は終った。なんと盛大な式であったろうか、貢献なさった人々に感謝しましょう。出水期にもこんどは安心して渡れる。

(「さく山」昭和三二年一〇月一五日号)

 地元民が橋りょうの完成に喜び、祝う心意気がうかがえると同時に、一般の交通の用に供する橋が、道路と一体となって交通の発達に寄与し、公共の福祉を増進することを目的としているかがうかがい知れる。

岩井橋落成式を報じる公民館報「さく山」