第四節 貯金・保険年金

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 郵便貯金は、明治七年(一八七四)に駅逓寮に属する職員を対象に始められたが、一般の人々を対象にして窓口を開いたのは、同八年五月二日であった。
 預入の金額は、最低が一〇銭、その上は一五銭、二〇銭と五銭きざみであった。最高限は一年につき一〇〇円、そして総額は五〇〇円までであった。初めは年利三分で、元金が一円以下の場合は利子がつかなかったのである。
 払い戻す時は、預け人は預け入れた局を通じて「払いもどし願書」を駅逓寮に差し出し、「払いもどし令状」を郵送してもらい、これをもって局で現金を受け取るから、預金を受け取るのに何日も待たねばならなかったのである。
 貯金は創業からしばらくの間は低調であったが、明治四十一年(一九〇八)には、預金額が一億円を超えたのである。
 「簡易生命保険法」は、帝国議会の審議を経て大正五年(一九一六)七月十日に公布され、同年十月一日簡易保険が誕生したのである。
 保険料は一〇銭を単位として、被保険者の年齢と保険種類、払い込み期間によって異なっている。
 保険の種類は終身保険と養老保険で、養老保険は一〇年、一五年、二〇年、二五年、三〇年、三五年および四〇年で、満期となるのである。
 同五年の大田原局と佐久山局の保険契約は次のとおりである。
 
  大田原局 保険契約    五八三件
       額   一〇三、三八一円
  佐久山局 保険契約    二〇一件
       額    一二、五八四円
(「逓信六十年史」)

 昭和三年には、小児保険の実現が計画され、三歳以上一二歳未満の小児を対象とする保険が、同六年十月から実施されたのである。
 明治二十一年(一八八八)の郵便貯金の預け入れ・払い戻し額は、次のとおりである。
 
  大田原郵便局
    局所数          一
    金額  預入  五、〇三一円
        払戻  四、九九〇円
    度数  預入    九三八度
        払戻     七五度
    人員  新規預入   五〇人
        金額払戻   三〇人
(「栃木県史 史料編・近現代七」)

 次に「国民の生活安定をはかる」という趣旨のもとに、政府において郵便年金の事業が立案なされたのである。早く死亡する者に対しては生命保険が必要であると同時に、長く寿命を保つ者に対しては年金制度が最もよく防貧の目的を達するという、相互扶助の組織である。
 大正十五年(一九二六)三月その法案は、貴衆両院を通過し、「郵便年金法」は公布され、同年十月一日から郵便年金が発足したのである。
 戦後の郵便年金等の状況は、次の第12~14表のとおりである。
第12表 郵便貯金
(単位 千円)
項目郵便貯金郵便振替貯金
年次受入払出受入払出
昭和26年107,83384,92531,0314,338
27162,031122,25142,9016,276
28198,096170,94756,9869,158
29237,286188,25661,6149,012
30237,415180,51061,0286,711

    郵便為替及保険
(単位 千円)
項目郵便為替簡易保険
年次受入払出受入払出
昭和26年19,91824,56726,0812,870
2725,64225,69431,3033,354
2831,87420,58837,5195,363
2926,78117,57642,0658,411
3021,62811,78336,9666,328
(「市勢要覧 大田原」昭和31年)

第13表 郵便貯金と払戻の状況
 貯金
(単位 千円)
普通定期
件数金額件数金額
84,373793,60414,892609,631

 払戻金
(単位 千円)
普通定期
件数金額件数金額
40,483792,1119,306359,013
(「市勢要覧 おおたわら」昭和45年)

(単位 千円)
項目受入払出
種別口数金額口数金額
通常貯金4,964580,00010,763738,340
積立貯金20,130109,603918107,788
定額定期貯金9,3371,379,9026,457894,858
財形定額貯金1,3169,121
(「大田原郵便局業務概要」昭和51年)

第14表 郵便年金
(単位 千円)
年度受入払出
昭二六四二五九〇
二七二四二一〇七
二八二七九一二三
二九四三七一八四
三〇八一七一八九
(「市勢要覧 大田原」昭和三一年)

 
  昭和五十一年の郵便年金契約件数
  受入契約 一七   支払契約 四七
という状況である。