第二節 創業

944 ~ 947
 大田原市における電話交換業務は、郵便局に併設されていたのである。業務が開始されたのは、次のとおりである。
  大田原郵便局 明治四十二年三月一日
   初期加入 三五加入
  佐久山郵便局 大正十一年三月十一日
   初期加入  九加入
  金丸原郵便局 昭和十四年七月十六日
   初期加入  二加入
  野崎郵便局 昭和十四年十二月六日
   初期加入  二加入
  親園郵便局 昭和十八年六月一日
   初期加入  三加入
(「大田原電報電話局業務概要」)

 昭和十四年ころ、電話一台架設するのにどの程度の経費が必要だったのか、一例として金田村村会議録には次のように記録されている。
 
 一、公衆電話架設ノ件
書記、議案朗議読
村長 議案ノ説明ヲナス
十二番、問、電話架設ニ就テハ信用組合ニテモ使用スルモノナレバ架設費幾分支出スル模様ナキヤ
村長 維持費ノ幾分ヲ支出方交渉シタルモ何等回答ニ接セズ
十二番、問、維持費ハ一カ年何程位ナリヤ
村長答、一ケ年百円位ナリ
十二番、曰、組合ヨリ四分ノ一位ノ支出方ヲ交渉セラレタシ
議長 満場異議ナキモノト認メ決定ス
 
議案第一号
 公衆電話架設ノ件
 昭和十四年一月三十一日提出

                                    金田村長 室井要
   本村役場ニ経費金参百弐拾九円ヲ以テ公衆電話ヲ架設スルモノトス
(金田・第九九)

 なお、「金田村郷土誌 昭和六年」には次のように記されている。
 
電話は大田原局に加入し中田原の一部に架設し利用せらるるも地理上の関係により広く利用せらるるに至らずして加入者わずかに五名に過ぎず、
警察電話は中田原、金丸、鹿畑各駐在所に架設せられ、時には民衆の通話も許すことありて其便益少からず電報受信は大田原、黒羽両局に頼り発信は両局の外東那須野局に頼るものもあり。