第三節 沿革

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 大田原電報電話局の沿革
明治五年七月一日 大田原郵便御用取扱所創設(現 新富町二丁目三番三三号)。

同二十二年四月一日 三等局に昇格 大田原郵便電信局と改称する。

同三十七年十二月六日 大田原町三一〇番地に局舎新築移転す(現 大田原中央郵便局)。

大正十二年十一月二十日 区画整理により番地変更大田原二、二七六の一となる。

昭和二十一年八月一日 機構改革により普通郵便局となる。

同二十四年六月一日 電気通信省設置法施行、大田原電報電話局として西那須野電気通信管理所管下に所属、大田原電報電話局として分課する。

同二十七年八月二十三日 局舎落成 大田原市大田原二、一九一に移転(現在地)する。

同三十六年四月三十日 新局舎落成(鉄筋コンクリート三階地下一階)。

同三十七年一月二十八日 自動改式(C四五)となる。線路宅内課、機械課に分課する。

同三十九年二月二十八日 烏山電報電話局開局に伴う烏山駐在廃止される。

昭和四十年一月二十日 塩原自動改式により手集と関谷外集となる。

同四十一年四月十九日 西那須野線電報電話局自動改式となる。

同四十二年六月二十七日 四階増築完成、付属舎完成。

同四十三年十月八日 黒羽線自動改式となる。

同四十五年三月二十五日 黒羽(東、西、南)地域集団電話線開通する。

同四十五年九月二十五日 公衆電話三分打切実施(大田原)される。

同四十五年十二月十八日 公衆電話三分打切実施(塩原、西那須野、黒羽)。

同四十六年六月一日 大田原管内、佐久山ほか五局所に孤立無線機TZ六〇設置される。

同四十六年八月二十日 塩原局開局によりC二二がC四六〇に形変となる。

同四十七年五月二十二日 塩那有放局線接続開始す。

同四十八年一月二十五日 広域時分制実施される。

昭和四十八年八月二十二日 野崎局自動改式となる。

同四十九年四月十六日 関谷局自動改式となる。

同四十九年四月二十五日 佐久山局自動改式となる。

同四十九年六月三日 大田原管内、須賀川、塩原、須佐木の三か所、TZ六〇孤立無線設置される。

同四十九年八月二十二日 西那須野局、佐久山局、野崎局に短縮ダイヤルサービス機品の導入工事完了。

同五十年二月五日 大田原局市外交換機(C八二TS―一〇Fr)サービス開始、D四五―TOS廃止される。

同五十年二月七日 組織整備により、電話運用課と自動運用課に分課される。

同五十年二月二十一日 大田原局市内交換機(C四〇〇LS、三五〇〇)三局サービス開始する。

同五十二年九月二十九日 電信再編成で電信業務が宇都宮へ集中され、業務課が営業課となる。

(「大田原電報電話局業務概要」)


大田原電報電話局(仲町)の交換室風景
(アクツ写真館提供)