有線放送

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大田原市農業協同組合が有線放送を開始する以前に、旧大田原町には昭和三十年初頭ころまで、有線による街頭放送が行われていたが、その実態を史料的に把握することはできなかった。大田原市農業協同組合の有線放送の創設は、昭和三十七年五月から同三十九年三月にかけて、大田原・金田・親園・野崎・佐久山の五農業協同組合に、手動式有線放送を設置した時点が初めである。
 創設資金四一、三二六、〇〇〇円を投じて設置され、当時加入戸数は、三、〇五二戸であった。
 同三十九年九月、大田原有線放送電話共同施設会が設立され、中継線により相互通話ができるようになったのである。
 大田原市農業協同組合では、本所(大田原農協)から一斉自動送り出し方式により、一月三回定時番組の放送時間を組んで行われたのである。
 第一回 午前六時から
 第二回 午後〇時二〇分から
 第三回 午後七時二〇分から
一回の放送時間は、一〇分から一五分間で、放送内容の主なものを記すと次のとおりである。
  大田原市農業協同組合業務のお知らせ
  市役所からのお知らせ
  農事・防除などの指導
  諸関係機関等のニュース
  NHK・栃木放送のニュース等
 通信の中には、急病人が出た時に医師の往診を頼んだり、手術の際、血液不足から献血を呼びかけたり、地区の行事の延期など、緊急な場合にも役立ち、なお、火災のあった場合などは、「どこそこの誰れの家が燃えています」、という情報を一斉に素早く報道したのである。
 創設当時(昭和三十七年)、一般の電話普及率は五パーセントと低く、農村地区への公社電話は皆無に近い情勢の中で、唯一の通信手段として有線放送が利用され、利便したのである。
 同四十七年、施設の全面改修工事を行い、五交換所を金田・大田原・親園の三交換所とし、自動交換機(ダイヤル式)に切換えた。この時、加入戸数約三、八〇〇戸に増加したのである。同年八月、公社電話と有線電話との接続により県内一円の通話ができるようになったのである(第1表)。
第1表 有線電話
年度大田原金田佐久山親園野崎
昭四七四九八一、七〇〇六二六六六二三八四三、八七〇
五三三四八一、五五四五八六六五四三三九三、四八一
(「大田原のすがた」五三年度版)

 このように、同三十七年から農村の通信や広報に多大な実効を果たしてきた有線放送であったが、一般加入電話の普及に押され、同五十六年十二月末で二〇年間の歴史を閉じ、廃止されたのである。