放送開始当時は、約七〇パーセントが鉱石式であり、真空管式でも、電池式一~三球が大部分であった。昭和三年ごろから電気会社が中心になり、交流式受信機の販売を促進し、同六年ころには聴取者の約八〇パーセントがそれにかわり、実用段階に入ったのである。
大田原市域にラジオが普及し始めたのは、同九年ころからの塩那電気株式会社の、増灯・増燭運動による勧誘があったからである。そのころの具体的な史料として、「金田村郷土誌」(昭和六年)によると、次のような記事が見られる。
無線電話(ラジオ)は漸次聴取者を増しつゝあり
また大田原町のラジオ聴取者は次のようであった。
昭和十一年 三五五
十二年 五一一
十四年 七五六
(「大田原町の調査 第一集」)
なお、NHKの受信料は次のとおりであった。
年度月 受信料 新聞代 白米小売価(14Kg)
大一五・八 一円 一円 四円三一銭
昭 七・四 七五銭 九〇銭 二円五七銭
〃一〇・四 五〇銭 一円 三円五五銭
〃二〇・四 一円 一円六〇銭 四円六〇銭
(「放送の五十年」NHK)
太平洋戦争以前ころの市域の普及状況は、史料の不足により、具体的には記せないが、かなりの家庭に普及していたようである。それは大正十五年以降の全国ラジオ・テレビの普及率の一覧表により、推測することができる(第1図)。
第1図 ラジオ・テレビ普及率(国勢調査世帯数より算出)
(「昭和史事典」毎日新聞社)
市域内の太平洋戦争後におけるラジオの普及状況は、次表のように普及していったのである。
昭和二十六年
地区 台数 普及数
佐久山 四四三 三六・〇パーセント
親園 五二五 六四・七パーセント
野崎 五〇〇 五〇・〇パーセント
(「実態調査」第二班教職員会)
また、佐久山地区の、昭和二十六年と二年後の同二十八年の普及率を地区別に記すと、第2表のように率がのびているのがわかる。
第2表 佐久山地区ラジオ普及度表 |
(昭和28年12月31日) |
町名 | 世帯数 | 人口 | ラジオ備付台数 |
岩井町 | 52 | 291 | 34 |
桜町 | 24 | 151 | 21 |
上町 | 52 | 273 | 34 |
中野 | 45 | 212 | 35 |
下町 | 59 | 252 | 43 |
荒町 | 81 | 463 | 57 |
新町 | 44 | 261 | 40 |
松原 | 10 | 74 | 9 |
大沢 | 33 | 199 | 26 |
葉ノ木沢 | 13 | 62 | 2 |
平山 | 23 | 150 | 19 |
佐南 | 41 | 235 | 29 |
藤沢 | 45 | 298 | 24 |
琵琶池 | 29 | 203 | 8 |
大神 | 55 | 377 | 44 |
大南 | 68 | 354 | 26 |
福原 | 124 | 817 | 87 |
福南 | 70 | 456 | 39 |
計 | 868 | 5,133 | 577 |
※人口は昭29.5.31 |
(「佐久山町勢要覧」昭和28年) |
ラジオ聴取世帯数。同二十九年から三十一年のラジオ普及率は、第3表のとおりである。
第3表 大田原市ラジオ聴取世帯数(概数) |
年次別 | 総数 | 内訳 | 100世帯当加入世帯 | 備考 | |
有料 | 無料 | ||||
昭29年 | 4,879 | 4,871 | 8 | 72 | 29年は佐久山地区を含まない数字である |
〃30〃 | 5,830 | 5,818 | 75 | 75 | |
〃31〃 | 6,047 | 5,967 | 80 | 78 |
(「市勢要覧 大田原」昭和32年) |
なお、県内一〇市と比べて見ると、ラジオの普及率は、宇都宮市と同じランクであった(第4表)。
第4表 ラジオ普及率調(県下10市比数) |
昭和29年 |
項目 | 台数 | 1台当世帯数 |
宇都宮市 | 30,377 | 1.4 |
足利市 | 16,411 | 1.3 |
栃木市 | 10,964 | 1.2 |
佐野市 | 8,745 | 1.3 |
鹿沼市 | 10,049 | 1.3 |
日光市 | 5,648 | 1.2 |
今市市 | 5,921 | 1.3 |
小山市 | 4,965 | 1.3 |
真岡市 | 5,308 | 1.3 |
大田原市 | 4,879 | 1.4 |
(「市勢要覧 大田原」昭和31年) |
ラジオの普及率は、同二十九年を境として、テレビの出現によりその後は停滞し、同三十九年まで普及率は同じであった。