ラジオ

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ラジオ放送は、大正十四年(一九二五)三月東京、同年五月大阪、同年六月名古屋と放送局が開局され、同十五年八月に社団法人日本放送協会(NHK)が誕生したのである。
 放送開始当時は、約七〇パーセントが鉱石式であり、真空管式でも、電池式一~三球が大部分であった。昭和三年ごろから電気会社が中心になり、交流式受信機の販売を促進し、同六年ころには聴取者の約八〇パーセントがそれにかわり、実用段階に入ったのである。
 大田原市域にラジオが普及し始めたのは、同九年ころからの塩那電気株式会社の、増灯・増燭運動による勧誘があったからである。そのころの具体的な史料として、「金田村郷土誌」(昭和六年)によると、次のような記事が見られる。
 
  無線電話(ラジオ)は漸次聴取者を増しつゝあり
 また大田原町のラジオ聴取者は次のようであった。
 
  昭和十一年   三五五
    十二年   五一一
    十四年   七五六
(「大田原町の調査 第一集」)

 なお、NHKの受信料は次のとおりであった。
 
   年度月   受信料   新聞代   白米小売価(14Kg)
  大一五・八   一円    一円    四円三一銭
  昭 七・四  七五銭   九〇銭    二円五七銭
  〃一〇・四  五〇銭    一円    三円五五銭
  〃二〇・四   一円 一円六〇銭    四円六〇銭
(「放送の五十年」NHK)

 太平洋戦争以前ころの市域の普及状況は、史料の不足により、具体的には記せないが、かなりの家庭に普及していたようである。それは大正十五年以降の全国ラジオ・テレビの普及率の一覧表により、推測することができる(第1図)。

第1図 ラジオ・テレビ普及率(国勢調査世帯数より算出)
(「昭和史事典」毎日新聞社)

 市域内の太平洋戦争後におけるラジオの普及状況は、次表のように普及していったのである。
 
    昭和二十六年
      地区   台数    普及数
      佐久山  四四三  三六・〇パーセント
      親園   五二五  六四・七パーセント
      野崎   五〇〇  五〇・〇パーセント
(「実態調査」第二班教職員会)

 また、佐久山地区の、昭和二十六年と二年後の同二十八年の普及率を地区別に記すと、第2表のように率がのびているのがわかる。
第2表 佐久山地区ラジオ普及度表
(昭和28年12月31日)
町名世帯数人口ラジオ備付台数
岩井町5229134
桜町2415121
上町5227334
中野4521235
下町5925243
荒町8146357
新町4426140
松原10749
大沢3319926
葉ノ木沢13622
平山2315019
佐南4123529
藤沢4529824
琵琶池292038
大神5537744
大南6835426
福原12481787
福南7045639
8685,133577
※人口は昭29.5.31
(「佐久山町勢要覧」昭和28年)

 ラジオ聴取世帯数。同二十九年から三十一年のラジオ普及率は、第3表のとおりである。
第3表 大田原市ラジオ聴取世帯数(概数)
年次別総数内訳100世帯当加入世帯備考
有料無料
昭29年4,8794,87187229年は佐久山地区を含まない数字である
〃30〃5,8305,8187575
〃31〃6,0475,9678078
(「市勢要覧 大田原」昭和32年)

 なお、県内一〇市と比べて見ると、ラジオの普及率は、宇都宮市と同じランクであった(第4表)。
第4表 ラジオ普及率調(県下10市比数)
昭和29年
項目台数1台当世帯数
宇都宮市30,3771.4
足利市16,4111.3
栃木市10,9641.2
佐野市8,7451.3
鹿沼市10,0491.3
日光市5,6481.2
今市市5,9211.3
小山市4,9651.3
真岡市5,3081.3
大田原市4,8791.4
(「市勢要覧 大田原」昭和31年)

 ラジオの普及率は、同二十九年を境として、テレビの出現によりその後は停滞し、同三十九年まで普及率は同じであった。