貢進生

975 ~ 976
貢進生とは、中央政府に推せんする生徒という意味である。明治三年三月太政官から各藩に達しが出され、一六歳以上二〇歳までの、行状正しく身体壮健な秀才を、大学南校(東京大学)に貢進するように命じたものである。それには英語を修めるものやフランス語を修めるもの、ドイツ語を修めるものもいた。これは明治新政府が優秀な人材を各藩に求め、東京に出張させて教育し、新政府の有能な人材の養成をはかったのである。
 ここにはじめて近代国家の中央集権的な学校の中で、西欧の学問を教育するようになったのである。この貢進生の制度も廃藩置県によって明治四年には廃止されたが、相当多くのものは、その後めざましい活動を展開し、日本の近代化に貢献する点が多かったのである。
 下野国(栃木県)の諸藩からどのような貢進生が選出されたであろうか。
 
  足利藩(一万一千石)西村貞
  壬生藩(三万石)鳥居帎(まこと)
  宇都宮藩(七万石)家亀六
  佐野藩(一万六千石)向坂兌(さかた)
  黒羽藩(一万八千石)佐藤計四郎
  大田原藩(一万一千石)大田原直之丞
  烏山藩(三万石)佐藤幹
  吹上藩(一万石)野瀬斉
(「栃木県史しおり・近現代八」、「下野の貢進生」唐沢富太郎)