寺子屋と天神信仰

985 ~ 986
寺子屋の教育が盛んになってくると、天神様または天満宮といって、菅原道真を祭神とする信仰が広く庶民の間に広まってきた。すなわち、学問の神、書道の祖、あるいは詩歌文学の主として尊敬されたのである。
 各寺子屋では道真公を祭って手習・学問が上達するようにと願い、寺子が共同して天神講を開くことが年中行事となっていたものもある。寺子屋で使用する机のことを天神机といい寺子屋で習った書き初めや清書などを、天満宮に奉納したりして、ますます信仰が深まっていったようである。
 現在は寺子屋の制度はなくなったが、天神信仰の精神が継承されて天神講を定期的に催している地区もある。
 
   新屋敷天満宮縁起
新屋敷天満宮は、菅原道真公を祭神とする。本宮の創建年月は詳かでない。もと菖蒲沢(新屋敷の旧名)なる観音山普門院の鎮守する所であった。この普門院は龍頭山龍泉寺の末寺で同寺は藩侯の祈願所で東ノ坊といひ、普門院は西ノ坊と称せられたのを見ると相当由緒ある寺院であったことが知られる。
天満宮は古来一藩士人の崇敬厚く当時藩中の子弟に読書、習字などを教へた。家老大田原蕭翰塾に伊藤家買山塾・内山家好泉塾・安見家塾。また町方にては猪狩氏(名幸衛中井家支配人)土井氏(号竹麿町医師)津久井氏など家業の傍、子女に筆算を授けたものなど、何れも深く尊崇して祭日正月廿五日には諸生をひき連れて参詣を例とした。普門院は天明年間に無住となったので新屋敷在住の人々は年番を定めて祭典を行ひ、またその後屡々広く浄財を募って尊像の修理並に祠宇の改修などして今日に至ったのである。昭和二十三年四月神社法に基づき社地払下を其筋に請願し二十四年三月二十五日無償譲与の許可を得た。是に於て神徳遠近に布き霊威四方に輝く誠に欽仰尊敬の極みである。大田原町にも諸処に六神宮がありましたが全部併記されたので新屋敷天満宮だけ現存して居るのです。就て此度「菅公千五十年祭」の講和発効を記念として拝殿の新築をなし来る十七・十八日大祭を行ふことになりました。新興日本の最大目標たる教育の重要性に鑑み菅公祭を一起軸として崇敬さるゝ様御協賛願ひます。
昭和二十七年五月一日

                          総代 室井音吉  奉讃会長 中津川仁
                             長尾秀堅   副会長 古沢修隆
                             渡辺留吉   同   大橋秀行
                             人見伝蔵   同   磯干武次
                             野沢市作     (原文のまま)