大田原地方の裁縫を業とする古老の話によれば、女性は一二、三歳ごろから各地のお針屋へ裁縫を習いに通った。しかし一年を通じて通う者はきわめて少なく、農村では農閑期を利用して師匠のもとに弟子入りした。しかしお針子として習いに出られたものは幸福な方で、裕福な家庭に限られていたようである。
なかでも武家の妻女を師匠として教授された者は、言葉づかい・あいさつの作法などの行儀見習いも併せて教わったようである。
現在も針供養の行事が残っているのは、当時の針子たちの一年中でいちばんの楽しみの名残が残っているものである。
前記の福原塾旗本家老役、福原兎毛の妻ソノ子は、夫の寺子屋をたすけて付近の女子に裁縫を教授したと伝えられている。塾や寺子屋の師匠夫人が近隣の子女を集めて、主人の読み書きの教授と並行して裁縫などの手芸を教えたということは普通だったようであり、以前から諸所で伝聞することである。