学制発布

997 ~ 1002
明治新政府は欧米先進国の教育制度にならい、明治四年(一八七一)に文部省を設置し、全国の諸学校はすべて文部省の統括とし、近代学校制度を確立するための準備にとりかかり、翌五年三月に「学制」を発布したのである。
 学制の基本理念は太政官布告第二一四号の、いわゆる「被仰出書(おおせいだされしょ)」に明示されている。その要旨は大体次のようである。
 人々自ら身を立て財産をおさめ、その業をさかんにさせることが教育の目的であること、教育は徳育(修身)知育(開智)芸育(才芸)に分けて行うこと。
 国民全部(華族士族農工商人男女すベて)に教育をあたえるようにすること。
 実際に役立つ学問を学ぶこと。学校や教育の費用は国民各自が負担すること。など画期的な方針を打ち出している。特にその方針を実現するために、教育はすべて親の責任においてなされるものであることを強調している。
 次は「被仰出書」の一部である。
 
「人々自ら其身を立て、その産を治め、其業を昌(さかん)にして、以其生を遂(とじ)るゆえんのもの他なし。身を修め智を開き才芸を長ずるによるなり。而(しか)して其身を修め智を開き才芸を長ずるは、学にあらざれば能はず。是れ学校の設(もうけ)あるゆえんにして、学問は身を立(たつ)るの財本ともいうべきものにして、人たるもの誰か学ばずして可ならんや。邑(むら)に不学の戸なく、家に不学の人無からしめん事を期す。人の父兄たるもの宜しく此意を体認し、其愛育の情を厚くし、其子弟をして必ず学に従事せしめざるべからざるものなり。」

 これは福沢諭吉の「学問のすすめ」の強い影響をうけたものといわれている。
 各地方においてはそれぞれに解説を加えて就学の奨励に努めたのである。
 この学制の内容は一〇九章からなり、学区・学校・教員・生徒および試業、海外留学規則・学費のことなどが定められている。
 このような教育制度によると、日本全国に大学八、中学校二五六、小学校五三、七六〇校を開く予定であった。
 学区制についてみると全国を八大学区に分け、一大学区を三二中学区に分け、さらに、一中学区に二一〇小学区を設けることにし、一小学区は人口約六〇〇人を基準とした。
 この企画によって、栃木・宇都宮両県は関東・山梨・静岡県とともに第一大学区に属し、その中学区は次のとおりである(本県の中学区)。
第三十八番中学区 都賀郡・寒川郡(栃木県)
第三十九番中学区 河内郡・芳賀郡(宇都宮県)
第四十番中学区  塩谷郡・那須郡(宇都宮県)
第四十一番中学区 安蘇郡・足利郡・梁田郡(栃木県)
第四十二番中学区 新田郡・山田郡・邑楽郡(群馬県)
学制の規定によると、小学校は「教育ノ初級ニシテ人民一般必ズ学バズンバアルベカラザルモノトス」として、国民すべての就学を説いている。なお小学校教育の重要性から、小学校優先と教員養成に力を注ぐよう指示している。
 この小学校の種類は、尋常小学・女児小学・村落小学・貧人小学・小学私塾・幼稚小学等に分けられている。
 尋常小学は上等と下等に分かれ、下等小学(四年)は六歳から九歳まで、上等小学(四年)は一〇歳から一三歳までの生徒に教育を与えた。上下合せて在学八年とし、下等小学の課程を分けて八級から一級とし、六か月ごとの試験を経て進級させるしくみになっている。
 小学校の教員は、男女共二〇歳以上で、師範学校か中学校を卒業し、免状を有するものとした。
 学校の教育内容は、下等小学の教材としては、綴字・習字・単語・会話・読本・修身・国体書読(てがみ)・文法・算術・養生法・地理大意・窮理(理科)大意・体操・唱歌(当分欠く)などであり、上等小学の教科は下等小学の教科のほかに史学大意・幾何学大意・生物大意・罫(ケイ)画大意(用器画)・博物学大意・化学大意などが加えられ、地域の事情によっては外国語・記簿法・図画・天体大意の四科を適当に教えてもよいようになっている。
 形式・内容ともに程度が高かったので、明治の世となったとはいえ、当時の人々(生徒)の生活や社会の状況から、就学上にかなり無理があったようである。

西洋事情(明治5年)・万国地誌略(明治9年)・他


小学国史(明治32年)・地誌略(明治12年)・他


小学読本(明治29年)・暗算書(明治11年)・他


小学画学本(明治11年)・他


小学理科(明治34年)・新体読本(明治27年)


小学修身書(益子孝治氏蔵)