学校費用負担

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「学制」では学校の経費は、大体地方住民の負担ということであった。学区取締、教師の給与、小学校の設立、学校の維持費など、すべて生徒の親が負担すべきものとされていたのである。
 学校の財源としては、寄付金・学区内集金・授業料などが主なものであるが、そのほか個人としては教科書・教材費など通学に必要な経費が負担となった。当時のような国民経済の状態下では重荷であり、その実施は不可能であった。そしてこれらの負担が就学を妨げる一因となっていたようである。
 そこで学区負担金のことを規定し、小学校教育普及のため「小学扶助委託金」の制度によって、全国男女一人につき九厘の割をもって国が支出し、これを県に委託してその学区を助成することとしたのである。
 寄付金は最初有志による寄付という旨であったが、やがて区内のほとんどの人々に、家産相当に応じて賦課に近い寄付募金であったといわれる。
 寄付金は、実際に募金した金でなく各戸の資産に応じて寄付金の額を約束し、帳簿に記帳し、実際にはその額面の年一割か一割二分位の利子を納め、それを校費として使用するのである。元金は徴収することなく、いわば寄付約束の元金である。
 次の二つの資料は、献金願に対する県からの称賛と寄付金願の許可書である。
 
     増渕源市郎
  学校創立ニ付献金願出候段奇特之至誉置猶皆納之上大蔵省エ可申立候事
   明治六年六月                     宇都宮県
(増渕五郎文書)


大田原小創立献金感謝状(増渕五郎氏蔵)

   寄附金願
当担当内大田原学校分校中田原村小学校々舎今般営繕致候趣ニ付右用途中江別紙目録三通即時寄附仕候間御許容被成下度此段奉願候也
 明治十一年十月十五日

                第三大区九小区担当学区取締
                            阿久津脩斉
  栃木県令 鍋島幹 殿
     記
  一金一円
   右之通ニ御座候也
   明治十一年十月十五日
                                    学区取締 阿久津脩斉
  書面願之趣聞届候事
   明治十一年十月十八日
(阿久津モト文書)

 この寄付願書によれば、大田原学校の分校として中田原村小学校の名がみえるところから、大田原小学校には分校があったことになる。中田原分校は最初現在の岩上商店の裏にあったが後大正八年ころ、現在の金田保育所正門前田圃に移転され、昭和五年七月現在の市野沢小学校に合併されて廃校となった。
 栃木県の学校保護方法(明治七年)によれば、各校一月の経費、教員給料、事務掛費、役夫料、営繕費、図書墨代、諸雑費等の合計額の標準を定め、これを保護する目的として、生徒おのおのからの授業料の合計額をもって校費に当て、毎戸に賦課金をしてその不足を補い、また人民有志の納付する寄付金の利子を収入として、各校の費用に充て、母金を資本として永遠に備えんことを議定すとしている。
 積金は本当の剰余金を積み立てたものである。
 しかし一つの小学区に一つの小学校という学制による学校創立の企画は、村の負担能力からみて実情に合わず無理があった。
 やがて学制の廃止によって、学区の併合も認められることになった。
 次の宿・村は小学区認可願を提出して許可されている。
 
   小学区御認可願
右者本県学事条例第二章第六条七条ノ旨趣ニ依リ公立小学校保護ノ目途及ヒ児童通学ノ便宜等討議候処前記宿村連合ニテ一小学区ニ相定度一同協議相整候条御認可有之度此段奉願候也
 明治十三年二月                         大田原宿人民惣代
                                        大田原徳盈
                                        菊地直平
                                 荻野目村人民惣代
                                        千本熊蔵
                                 刈切村人民惣代
                                        桜岡利平
                                    右戸長 西海石永三
栃木県那須郡長 藤田吉亨 殿

(大田原・第八四)

 授業料については各町村によって異なるが、前述の栃木県の学校保護方法では、授業料を一〇銭としているが、実際にはもっと安くなっている。すなわち上・中・下の三等に区分して、上等一か月五銭(一二歳より一四歳まで)、中等四銭(九歳より一一歳まで)、下等三銭(六歳より八歳まで)とし、貧しくて相当する等級の授業料を納められないものは下等の額を納めてもよく、また免除されることもあって、町村の状態によって増減することができるようになっている。
 町村によっては、以前から就学督励上授業料を軽減したり、取らなかったりしたようであるが、義務制の実施に伴い授業料の制度はなくなった。