さらに高等小学校については、二年制の課程を高等小学校に併置することを奨励し、近い将来に義務教育年限を二年延長して、六年制とする準備としたのである。
このような制度の改正により、義務教育の就学率は次第に高まり、就学義務者の責任所在も明確にされた。
また従来の小学校の授業料徴収を改め、これを廃止して徴収しないこととし、義務教育の無償制が確立したのである。
同四十年(一九〇七)義務教育の二年延長が実現して、尋常小学校の修業年限は六年制となった。日露戦争後という戦後状勢下にありながら国民教育の基礎課程が重視され、確立されたことは重要な意味をもち、画期的な改革であった。
この制度の実施は翌四十一年からであるが、栃木県では「学齢児童就学及出席督励方法」「学齢児童就学奨励基程」等を定めて、就学出席の方法を規定し、厳格に実行を課し、成績良好な学校は表彰するなどして、就学への努力をしたので、就学率は向上し、同四十三年には九八パーセントを超えるまでになった。
金田村臨時村議会は同四十一年二月二十七日「貧民児童学資補助規程」を議決して、就学義務制に伴う費用負担の援助を実施した。
貧民児童学資補助規程
第一条 学齢児童保護者ニシテ家計貧困ノ為児童ヲ尋常小学校ニ就学セシムルノ資力ナキモノハ本規定ニ依リ学資ヲ補助ス
第二条 補助スヘキ学資ノ種類左ノ如シ
一、教科書及文具料
二、弁当料
第三条……弁当料ハ前月中ノ出席日数ヲ調査シ左ノ区別ニ依リ翌月五日限リ支給ス
一ケ月出席日数 金一銭五厘
時宜ニ依リ弁当料ヲ除クノ外現物品ヲ以テ支給スルコトアルヘシ
第五条……村長ハ保護者ニ対シ学資ノ補助ヲ受ケタルコトヲ児童ニ知得セシメサル様注意ヲ与フルコトヲ要ス
第一条 学齢児童保護者ニシテ家計貧困ノ為児童ヲ尋常小学校ニ就学セシムルノ資力ナキモノハ本規定ニ依リ学資ヲ補助ス
第二条 補助スヘキ学資ノ種類左ノ如シ
一、教科書及文具料
二、弁当料
第三条……弁当料ハ前月中ノ出席日数ヲ調査シ左ノ区別ニ依リ翌月五日限リ支給ス
一ケ月出席日数 金一銭五厘
時宜ニ依リ弁当料ヲ除クノ外現物品ヲ以テ支給スルコトアルヘシ
第五条……村長ハ保護者ニ対シ学資ノ補助ヲ受ケタルコトヲ児童ニ知得セシメサル様注意ヲ与フルコトヲ要ス
(金田・第二二一)
第7表は大田原尋常高等小学校三〇年間における児童就学歩合である。このころ、宇田川小学校が県より「就学奨励賞」を授与された。
第7表 児童就学歩合(大田原尋常高等小学校) |
年度 | 学齢児童数 | 就学児童数 | 就学歩合 | 年度 | 学齢児童数 | 就学児童数 | 就学歩合 |
明治三六 | 一〇二五 | 九二六 | 九〇、三四 | 六 | 一三九八 | 一三九一 | 九九、五六 |
三七 | 一〇六二 | 九六六 | 九〇、九六 | 七 | 一五一六 | 一五一四 | 九九、八七 |
三八 | 一一〇五 | 一〇三二 | 九三、三九 | 八 | 一五三六 | 一五三一 | 九九、六七 |
三九 | 一一六五 | 一〇二六 | 八八、〇七 | 九 | 一六二一 | 一六一六 | 九九、八一 |
四〇 | 一二二二 | 一〇七九 | 八八、三〇 | 一〇 | 一七〇三 | 一七〇〇 | 九九、八二 |
四一 | 一二二一 | 一一三一 | 九二、六三 | 一一 | 一七三〇 | 一七二一 | 九九、四八 |
四二 | 一二五六 | 一一三二 | 九〇、一三 | 一二 | 一五八六 | 一五七八 | 九九、五〇 |
四三 | 一二四一 | 一二二二 | 九八、五五 | 一三 | 二〇九三 | 二〇七三 | 九九、〇九 |
四四 | 一一五九 | 一一四三 | 九八、七八 | 一四 | 一八九五 | 一八八一 | 九九、二六 |
四五 | 一一五〇 | 一一二二 | 九七、六六 | 一五 | 一八八一 | 一八七一 | 九九、四七 |
大正二 | 一二〇八 | 一一四三 | 九四、六二 | 昭和二 | 一七七五 | 一七七一 | 九九、七七 |
三 | 一二九三 | 一一七八 | 九一、〇三 | 三 | 二〇〇一 | 一九九七 | 九九、八〇 |
四 | 一二六六 | 一二二三 | 九六、六〇 | 四 | 二一四一 | 二一三七 | 九九、八一 |
五 | 一三三一 | 一三二一 | 九九、二五 | 五 | 一九一〇 | 一九〇六 | 九九、七九 |
(「郷土教育資料(一)」大田原小学校所属) |
……明治四十一年度ノ出席歩合良好ナル廉ヲ以テ就学奨励規定ニ基キ本県ヨリ優秀旗一旒ヲ授与セラレタリ、サレバ就学児童逐年ニ増加シ来リ、遂ニ校舎狭隘ヲ告グルニ及ヒ明治四十四年四月阿久津孫四郎ヨリ敷地接続ノ畑地百七十坪ノ寄附ヲウケ増築ノ工事ヲ起シ旧校舎ニ更ラニ教室ニ及廊下玄関等ヲ附シ茲ニ間口十四間奥行五間総坪数七十坪ノ校舎トナシ五月十二日移転シ在籍児童百十余名ヲ分チテ二学級トナシ教授スルニ至レリ
(「親園郷土誌」)
これによると児童の就学、出席率の向上が学校校舎の不足をもたらし、校舎増築の様子がうかがえるのである。
前述の如く小学校六年の義務制が確立されると、小学校に続く中等教育の制度が整備され、中学校・高等女学校・実業学校などが接続することとなり、さらに高等教育機関として高等学校・専門学校・大学が設けられ、明治末年までには、わが国の学校体系が段階的に構成・整備されていったのである。
そして、この制度は明治・大正・昭和を経て、第二次大戦後の新しい教育改革までの長期にわたって続いたのである。
次の各資料は、当時の小学校以上の進学状況の統計である(第8表)。
第8表 小学校以上の進学状況(大田原尋常高等小学校) |
年度 | 中学校 | 女学校 | 師範学校 | 女子師範学校 | 農学校 | 商業学校 | 工業学校 | 実業補修学校 |
大正一 | 二〇 | 〇 | 〇 | 一 | 〇 | 〇 | 〇 | 一三 |
二 | 一八 | 一七 | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 |
三 | 二二 | 一七 | 〇 | 〇 | 一 | 〇 | 〇 | 〇 |
四 | 二〇 | 二六 | 〇 | 〇 | 〇 | 一 | 一 | 〇 |
五 | 一六 | 二四 | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 |
六 | 二一 | 一七 | 〇 | 〇 | 二 | 四 | 〇 | 〇 |
七 | 二二 | 一六 | 〇 | 〇 | 二 | 〇 | 〇 | 〇 |
八 | 一九 | 一八 | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 |
九 | 二五 | 二三 | 一 | 一 | 〇 | 二 | 二 | 〇 |
一〇 | 二四 | 二三 | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 |
(「郷土教育資料(一)」大田原小学校所属) |
……我親園村ノ如キモ蓋シ此因ニ洩レズ曩ニハ隣村野崎村ニ県立農学校ノ設ケアリ近クハ大田原ニ県立中学校及実科高等女学校ノ設立ヲ見ルニ至リテヨリ中等教育ニ身ヲ入ルルモノ漸次多キヲ加ヘ今ヤ歳々十数名ノ志願者ヲ出スノ盛況ヲ見ルニ至レリ今左ニ各種学校ニ於ケル卒業生ト現ニ修学居ルモノノ数トヲ対書シテ如何ニ本村人ガ小学校以上ノ教育ヲウケツツアルカヲ示サン
学校 卒業者実数 在学者数
京都帝国大学法科 一名 〇名
中学校程度以上ノ各種学校 二名 二名
県立大田原中学校 十五名 十四名
県立栃木師範学校 十名 二名
栃木県立農学校 七名 〇名
県立宇都宮高等女学校 二名 一名
町立大田原実科高等女学校 七名 七名
郡立矢板農学校 〇名 六名
県立商業学校 〇名 一名
中学校程度各種学校 女子二名 女子一名
学校 卒業者実数 在学者数
京都帝国大学法科 一名 〇名
中学校程度以上ノ各種学校 二名 二名
県立大田原中学校 十五名 十四名
県立栃木師範学校 十名 二名
栃木県立農学校 七名 〇名
県立宇都宮高等女学校 二名 一名
町立大田原実科高等女学校 七名 七名
郡立矢板農学校 〇名 六名
県立商業学校 〇名 一名
中学校程度各種学校 女子二名 女子一名
(「親園郷土誌」)
中等以上ノ諸学校入学者調
(一)薄葉小学校結社内最近五ケ年間
大字 | 総計 | 性別 | 中等学校入学者 | 専門学校以上入学者 |
薄葉 | 四九 | 男 | 三一 | 五 |
女 | 一八 | |||
平沢 | 三六 | 男 | 二四 | 二 |
女 | 一二 |
(二)石上小学校結社内中等以上入学卒業者調
中等学校卒業者 男六八 女二九 計九七
右ノ内専門学校卒業 男 七 女 二 計 九
中等学校以上在学者 男二一 女一一 計三二
(三)豊田小学校結社内中等以上入学者調(大正九~昭和四年)
豊田小学校卒業者 男一九二 女一七四 計三六六
内中等学校以上入学者男 二九 女 三六 計 六五
(「郷土の研究」薄葉小学校所蔵)
中等学校以上ノ教育ヲ受ケタルモノ(佐久山)
中学校卒業者 男一三九 女七一 計二一〇
大学及専門卒者 男 二一 女 五 計 二六
(「郷土地誌資料」佐久山小学校所蔵)