明治十一年ころになると、文部省は付属体操伝習所を開設して、軽器具を使った軽体操や徒手体操等の講習を行い、陸上競技を中心とする「戸外遊戯」が行われるようになって、やがて運動会と称するものが各府県の各地へ伝わり、神社の境内や地方の野原で行われるようになったのである。
明治二十年代になって、体育を必須教科として位置づけるようになると、儀式行事としての体操遊戯として、運動会の形態を整えてくるのである。
やがて、日清・日露の両戦争が勝利をおさめるに至って、運動会は軍国調となり、学校教育の中に定着してくるのである。
同四十一年(一九〇八)五月三日に、大田原尋常高等小学校で行われた春季運動会の順序は、次のとおりである。
明治41年大田原小運動会順序(大田原小学校提供)
春季運動会順序
午前ノ部
第一、開会
1球干拾ヒ 尋一男
2風船取リ 尋一女
3水雷攻撃 尋二男
4昇校競争 尋二女
5赤十字・担架競争 尋三男
6スプンレース 尋三女
7修身競争 尋四男
8蛇行進 尋四女
9連帯旗奪ヒ 尋五男
10毬送リ 尋五女
11センターポール 高二男
12桜狩 高二女
13二人三脚競争 高三男
14軍艦旗戻シ 高四男
15二人三脚帰途植物採集 高三、四女
16裁縫競争 補習科
17連合体操
午後ノ部
1来賓競争
2凧揚ゲ 尋一男
3バスケットボール投超シ 尋一女
4果物拾ヒ 尋二男
5連合体操 高男全
6バスケットボール 尋二女
7電信柱投競争 尋三、四男
8輪クグリ 尋三女
9綱引キ 尋四男
10湖蝶遊ビ 高三、四女補習科
11折紙競争 尋四女
12戴点…一脚競争 尋五男
13木倒翁落シ 尋五女
14攀棒競争 高二男
15第二式バスケットボール 高二女
16海戦 高三男
17障害物競争 高四男
18フットボール 高男全
第二、賞授与
第三、学校長訓話
第四、閉会
明治四十一年五月三日
大田原尋常高等小学校
(久利生久義提供)