明治五年(一八七二)の学制発布によって、栃木県は第一大学区に所属し、中学区は第三八番~四二番の五中学区に分れていた。
これは、小学校に接続する中学校の設立をあらかじめ予定し、将来の開設に備えておく必要があったからである。
栃木県では中学区の中学校を建設する場所を次のように定めた。
第三八番中学区―都賀郡栃木町
第三九番中学区―河内郡宇都宮町
〃四〇番〃 ―那須郡大田原宿
〃四一番〃 ―安蘇郡佐野町
〃四二番〃 ―(群馬県へ編入される)
以後各種の教育関係の法令が公布されて、中等学校が各地に設立されていくのである。栃木県で最初に創始された中学校は、同十二年(一八七九)二月栃木県師範学校付属予備学校を、師範学校から分離して設置された栃木中学校(現 宇都宮高等学校の前身)である。十月に校名は栃木県第一中学校と改称されたが、第一中学校と称しているのは県内各地に順次第二・第三の中学校を設置する計画であったからである。
同三十二年四月 栃木県第二中学校(栃木町)
同三十三年四月 栃木県第三中学校(真岡町)
同三十四年四月 栃木県第四中学校(佐野町)
同三十四年五月からは校名が変更され、それぞれ栃木県立宇都宮中学校、同栃木中学校、同真岡中学校、同佐野中学校と改称され、同三十五年(一九〇二)四月には、大田原中学校が開校されたのである。