二宮金次郎と学校

1100 ~ 1102
「柴刈り縄ないわらじをつくり、親の手を助(す)け弟を世話し、兄弟仲良く孝行つくす、手本は二宮金次郎。」当時の小学唱歌であるが、柴を背負った「金次郎像」が各学校に建てられ、それは孝行・勤勉・学問などの徳目を教えるための教材であった。
 二宮翁は国定教科書にも登場し、特に栃木県では、二宮翁が各藩の財政たて直しに大きな業績を残し、三六歳から七〇歳で没するまでの後半生を捧げた土地であるので、報徳主義の教化が大きかった。
 栃木県ではさらに各市町村長・各学校長へ次のような通達を発し、報徳主義の普及徹底をはかった。
 
  報徳主義の普及徹底と地方の更生振興に関する件
    昭和十年十月二十日
                                       栃木県総務部長
                                       栃木県学務部長
                                       栃木県経済部長
各市町村長殿
各学校長 殿
標記ノ件ニ関シテハ予テヨリ深ク御配慮相成居候コトト存候モ、今般二宮尊徳翁ノ八十年祭ヲ機トシテ特ニ告諭ヲ発セラレ候ニ付テハ、官民協力一致ヨク之ガ趣旨ヲ体シ益々報徳精神ヲ発揚シテ奮励努力以テ各般ノ積弊ヲ一掃シテ産業自治教育衛生其他諸般ノ改善刷新ヲ加ヘ、地方ノ開発国家ノ興隆ニ一段ノ貢献ヲ為ス様被努度、殊ニ本年ハ昨年ニ相次グ冷害水害等ノ被害甚シキ折柄、県民一致ノ努力ニヨリテ之ヲ克服シ転禍為福ノ結果ヲ収ムル様致度候条、特ニ左記事項御留意ノ上夫々適切ナル計画ヲ樹テラレ市町村ノ更生ニ一段ノ御尽力相煩度、此段依命及通牒候也
        記
(三)各学校ニ於テハ勤労教育ヲ重視シ勤労愛好ノ精神ト不撓不屈ノ意力トヲ涵養スルト共ニ、特ニ社会教育ニ意ヲ用ヰテ以テ報徳主義ノ普及徹底ヲ図ルコト

(「栃木県史 史料編・近現代八」)


大田原読本・昭和12年(益子正一氏蔵)

 さらに昭和十三年「国民精神総動員法」が実施されると「報徳主義」の教育が一段と強調された。