その理由は、次のようなものがあげられる。
一、国体の本義に基づき、青年の心身を鍛練する必要があった。
二、産業の振興、地方の開発に寄与させる必要があること。
三、国防の根底をつくり上げる必要があること。
対象は高等小学校・中等諸学校在学者及び中等学校四年修了者を除く、満一二歳から満一九歳までのすべての男子の青年学校への就学が義務制となったのである。
勤労青年を対象としているため、町や村には公立の、一定の規模をもった工場などには私立の青年学校が設立されていった。
教科内容は修身及び公民科・普通科・職業科・訓練等であり、勤労青年の多くはいずれかの青年学校に入学してその教育を受けるようになった。
同十四年四月には次の青年学校が現市域内各地の高等小学校に併置されている。
大田原町青年学校
親園村公民青年学校
野崎村青年学校
野崎村青年学校石上分教場
野崎村青年学校豊田分教場
佐久山青年学校
金田村立金田青年学校
金田村金田南青年学校
同十四年度から逐年に一学年ずつ施行していく予定であったが、第二次大戦の終結により完全な実施は不能となり、同二十二年の学制改革によって、青年学校は廃止となったのである。
佐久山女子青年団員