国民学校

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昭和十六年四月一日、「小学校令」が改正され、新たに「国民学校令」が実施された。この改革は同十二年に内閣に設置された教育審議会の答申に基づいて行われたもので、日華事変後の戦時体制が次第に強化され、明治以来の小学校の名称が、皇国民育成の目標のもとに国民学校と改められたのである。
 国民学校の目的は、「国民学校令」第一条に「国民学校ハ皇国ノ道ニ則リテ、初等普通教育ヲ施シ、国民ノ基礎的ナ錬成ヲ為スヲ以テ目的トス」とあり、戦時体制下の小国民を戦争遂行のために役立つよう、心身をきたえることを明確にし、教育目標に国家主義的思潮を強調し、教育の内容・編成・方法・教員の組織・待遇までも改めて、戦時教育体制を確立するものであった。
 制度上の改革として、次のようなことがあげられる。
一、義務教育の年限が八年に延長される。
二、国民学校の課程を、初等科六年・高等科二年とする。
三、高等科第二学年修了後特修科一年を置くことができる。
四、就学義務の徹底をはかる。
 この中で八年の義務教育は同十九年度から実施の予定であったが、戦時非常措置によって延期となり、実現されないまま終戦となった。
 教育の内容上の改革として、皇国民としての基礎的錬成の資質内容を示している。
一、国民精神を体認し、皇国の使命に対する自覚を持たせるため、教科として国民科(修身・国語・国史・地理)をおく。

二、合理創造の精神を体得して、国運の進展に貢献できるようにするため、理数科(算数・理科)をおく。

三、剛健な心身と献身奉公の実践力をつけるため、体錬科(体操・武道)をおく。

四、芸術的、技能的な表現力をもち、生活を充実させるため、芸能科(音楽・習字・図画・工作・裁縫(女)家事(高女))をおく。

五、勤労を愛好し、職業報告の実践力をもたせるため、実業科(農業・工業・水産)をおく。