方法上の改革

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国民学校教育の方法は、前述の「錬成」であり、「児童の陶冶性を出発点として、皇国の道に則り児童の内面より力の限り、即ち全能力を正しい目標に集中せしめて錬磨し、国民的性格を育成することにある」と定義された。強化された主な点は、次のようなものである。
一、主知的教授を排し、心身一体として教育し、教授、訓練、養護の分離をさけ、国民としての統一的人格の育成を期すること。

二、儀式・学校行事の教育的意義を重んじ、これを教科とあわせて一体とし、全校をあげて「国民錬成の道場」たらしめようとしたこと。

三、学校・家庭・社会の連絡を緊密にし、児童の教育を全うしようとしたこと。

 このような戦争遂行のための皇国民錬成を目的とした改革を目標に、市域内に次の諸国民学校が発足したのである。
大田原町国民学校・親園村親園国民学校・同宇田川国民学校・野崎村野崎国民学校・同石上国民学校・金田村市野沢国民学校・同金丸国民学校・同奥沢国民学校・同羽田国民学校・佐久山町佐久山国民学校・同福原国民学校

 次の資料は、この時の校名変更に関するものである。
 
   第一二三八号
     昭和十六年三月三十一日
                                 那須郡大田原町長 若林末造
   栃木県知事 山県三郎 殿
    国民学校名報告に関する件
  標記の件左記の通り及御報告候也
   現小学校名          新国民学校名
 那須郡大田原尋常高等小学校  那須郡大田原町国民学校
(学校・第一〇)

  議案第二二号
  国民学校ノ名称変更ニ関スル件
   昭和十六年四月十六日提出
                                     金田村長 室井要
 本村立国民学校ノ名称ヲ左記ノ通リ変更スルモノトス
     左記
現在ノ名称新名称
栃木県那須郡金田村金田国民学校栃木県那須郡金田村市野沢国民学校
〃     金田村南国民学校〃     金田村金丸国民学校
〃     金田村第三国民学校〃     金田村奥沢国民学校
〃     金田村第四国民学校〃     金田村羽田国民学校
(金田・第一〇三)