諸中等学校は各々学校規定を制定して、国民学校と同様に戦時教育体制の趣旨に沿うよう、教育内容の改革が行われた。即ち、修業年限を原則として四年とし、戦争が激しくなるに従い、学校も戦時動員体制へ組み込まれていったのである。
次の資料は、県立大田原中学校の昭和十八年度の「学校経営方針」であるが、戦時教育の色彩を強くうかがうことができよう。
学校経営方針及本年度努力点
教育ニ関スル勅語、青少年学徒ニ賜ハリタル勅語並宣戦ノ詔書ノ趣旨ヲ奉体シ、中等学校令中学校規程ノ本旨ニ基キ師弟同行学行一体特ニ本校並報国団綱領ノ精神ヲ徹底セシメ以テ中堅有為ナル皇国民ヲ錬成セントス
本校綱領
一、国体ノ観念ヲ明徴ニシ忠孝ヲ本トスベシ。
一、心身ヲ鍛錬シ、質実剛健ノ気風ヲ振励スベシ。
一、文武岐タス斃レテ後ム己ノ気魄ヲ雄渾ニスベシ。
報国団綱領
一、我等ハ宇内唯一ノ天皇ヲ仰ギ御稜威ニ死ス。
一、我等ハ天皇ノ学徒ナリ雄大ナル気宇ト剛健ナル身体トヲ錬磨ス。
一、我等ハ報国団旗ノ下、挺身大東亜建設ニ邁進ス。
本年度ノ努力点
一、新制度改革精神ノ徹底。
一、乃木精神ノ昂揚。
一、武道並戦技運動ノ奨励。
一、進学指導ノ徹底。
一、礼道ノ透徹。
一、虚弱者ノ健康増進。
教育ニ関スル勅語、青少年学徒ニ賜ハリタル勅語並宣戦ノ詔書ノ趣旨ヲ奉体シ、中等学校令中学校規程ノ本旨ニ基キ師弟同行学行一体特ニ本校並報国団綱領ノ精神ヲ徹底セシメ以テ中堅有為ナル皇国民ヲ錬成セントス
本校綱領
一、国体ノ観念ヲ明徴ニシ忠孝ヲ本トスベシ。
一、心身ヲ鍛錬シ、質実剛健ノ気風ヲ振励スベシ。
一、文武岐タス斃レテ後ム己ノ気魄ヲ雄渾ニスベシ。
報国団綱領
一、我等ハ宇内唯一ノ天皇ヲ仰ギ御稜威ニ死ス。
一、我等ハ天皇ノ学徒ナリ雄大ナル気宇ト剛健ナル身体トヲ錬磨ス。
一、我等ハ報国団旗ノ下、挺身大東亜建設ニ邁進ス。
本年度ノ努力点
一、新制度改革精神ノ徹底。
一、乃木精神ノ昂揚。
一、武道並戦技運動ノ奨励。
一、進学指導ノ徹底。
一、礼道ノ透徹。
一、虚弱者ノ健康増進。
(「大高七十年誌」)
また、「大田原女子高等学校沿革史年表」には、次のような記録がのっており、戦時下学校の様相をよく記録しているので参考にあげる。
昭和一五・ 五・二二 青少年学徒に賜わりたる勅語一周年記念。大田原神社参拝、国旗掲揚式。勅語奉読式。勅語謹写。教練、薙刀、分列行進実施。
同 一五・ 七・一六 昼食調査、米飯六九、麦飯二七四、混食八、パン五三。
同 一五・一一・一五 靴代用に下駄ぞうり等使用も可。
同 一五・一二・一〇 冬期は学校内にてモンペイ着用、染色すること。
昭和一五・一二・二一 大田原護国神社工事勤労奉仕、石運搬作業四七六〇個。
同 一六・ 二・ 五 映画「民族の祭典」見学、午後勤労作業。
同 一六・ 六・一一 青少年学徒勤労奉仕隊各町村に出勤(十八日まで)。
同 一七・ 三・一三 蘭印無条件降伏、戦勝祝賀式、歩行隊大田原神社、自転車隊乃木神社参拝。
同 一七・ 三・一三 学校報国隊出励会書長官より令達、協力作業開始式、毛布修理作業十一日間
同 一七・ 四・一八 零時二五分空襲警報直ちに部署につく。三時四〇分解除。
同 一七・ 七・ 七 支那事変五周年記念日。自転車隊百名、喜連川に白兵戦及閲兵分列式参加、他は農事作業。
同 一七・ 八・一六 金丸原飛行場労力奉仕(地ならし、芝植え)。
同 一七・ 八・一九 お城山草刈作業(二十日まで)。
同 一七・一二・一九 食糧増産のため原野開墾作業。
同 一八・ 一・二三 負重力耐久行事、親園小学校まで平均十五キロ砂のう運搬する。
同 一八・ 五・ 八 大詔奉戴日挙行。大田原神社、同護国神社参拝、宇都宮師団へ慰問状五八一通送付
同 一八・ 七・一〇 女子挺身隊員出発見送り(中に本校卒業生五名)。
同 一八・ 七・二二 四年濠堀作業はじめる。
同 一八・一〇・一八 第二期勤労奉仕作業。
同 一九・ 三・一二 金丸原飛行場に勤労奉仕(爆風に対するガラス戸の紙はり)。
昭和一九・ 三・一六 卒業式、女子挺身隊結成式。
同 一九・ 四・二三 金丸飛行学校の単衣調整奉仕。各教室に於て全校生徒仕上げる。
同 一九・ 六・一五 向う二〇日間、春季農繁期学徒勤労動員出動、その後数日延長。
同 一九・ 六・二七 第四学年生に通年動員令下り本日出動壮行式、午後三時より弁当、赤飯仕度し、同窓会の応援を得て、七時三〇分壮行式校庭に於て挙行。九時十九分、大田原駅発列車にて出発。町内各種団体保護者等参集盛大を極めた。
同 一九・ 九・ 一 本校駐屯の軍隊国民学校へ移動したため教室移動をする。大田原国民学校の四、五、六年女組本校へ移転することとなったため学校長等挨拶に本校する。
同 一九・一一・一四 三年生通年動員出動式(中島飛行機、宇都宮製作所)。
同 一九・一一・二四 一二時一八分空襲警報発令。三、〇〇〇昼食小豆御飯を握りて各班に携行、警備あるいはその位置にて喫す。
同 一九・一二・二九 一、二年生金丸原飛行場労力奉仕(地ならし)。
同 二〇・ 二・一六 学校の一部を工場にする認可がおりる。空襲下、一年及び大田原地区外生徒午前中にて帰宅する。
同 二〇・ 二・二八 本日授業なく、終日警戒に任ずる。二二日帰省の四年生、中島飛行機大田原工場入所式。
同 二〇・ 六・一五 食糧増産勤労動員開始(七月十四日頃まで)。
昭和二〇・ 六・二二 栃木県大田原高等女学校学徒隊結成式、大田原神社参拝。
同 二〇・ 七・ 一 本日第四学年生、宇都宮一八一四工場出勤生徒一六五名配置転換のため帰校す。
同 二〇・ 七・ 五 第四学年生、皇国二九九四工場入所式。
同 二〇・ 七・一八 グラマン機一〇機編隊、那須地方空襲する。憲兵隊新校舎駐屯。
同 二〇・ 七・二三 学徒隊役員任命式並に閲兵。
同 二〇・ 七・二四 備品疎開始まる。
同 二〇・ 七・二五 防衛隊本日より校庭及講堂使用。
同 二〇・ 八・ 四 登校時の団体行進の時の敬礼は歩調とれ、頭右(左)。
同 二〇・ 八・ 七 栃木県立大田原高等女学校義勇戦闘隊編成。
同 二〇・ 八・一三 終日、空襲警報発令下に過ごす。
(「大女高六〇年誌」)