都道府県及び大都市は同年十一月一日に、その他の市町村においては、その後の改正で、同二十七年十一月一日より発足することとなった。
委員の選出方法は公選制であったが、同三十一年公選教育委員会制度は廃止され、以後地方公共団体の長が任命し、議会の承認を得るという、任命制に改正されたのである。
同二十七年当時は、まだ町村合併が実施されなかったので、大田原町・親園村・金田村・野崎村・佐久山町にそれぞれ教育委員会が設置された(委員五名、うち一名は議会より選出)。
教育長は数か町村の連合教育長として兼務する者もあったのである。
町村合併前の教育委員は次のとおりである(○教育委員長◎教育長以下同じ)。
大田原町 ○細小路丑松、藤田好文、伊藤安雄、桑原貫善、田中八左衛門、◎林伊勢吉
親園村 ○越井金市、高橋勇、関谷正、佐藤要、小針太治、◎阿美秋二郎
金田村 ○小田部秀雄、古内豊、永山清、磯秋吉、松田芙容、◎林伊勢吉
野崎村 ○池島仙之丞、関谷茂、相沢猛、小野崎要、斎藤捷一、◎阿美秋二郎
佐久山町 ○島崎覚兵衛、村上三千三、佐藤弘海、本橋市太郎、山口栄市、◎阿美秋二郎
昭和二十九年、「町村合併促進法」によって、大田原市(大田原町、親園村、金田村)が誕生し、同年野崎村東半、翌三十年、西那須野町加治屋区を編入、佐久山町が合併するに至って、現在の行政区域となり、町村ごとに設置されていた教育委員会は発展的に解消となり、大田原市教育委員会が設置されたのである。
教育委員長 | 教育長 | |||
初代 | 二九・一二~三〇・三 | 二九・一二~三一・九 | ||
二〃 | 三〇・三~三〇・一一 | 三一・一〇~三二・三 | ||
三〃 | 三〇・一二~三一・九 | 三二・四~三二・九 | ||
四〃 | 三一・一〇~三四・九 | 三二・一〇~三六・九 | ||
五〃 | 三四・一〇~三六・一〇 | 三六・一〇~四〇・九 | ||
六〃 | 三六・一〇~三七・九 | 四〇・一〇~四四・九 | ||
七〃 | 三七・一〇~四一・九 | 四四・一〇~四八・九 | ||
八〃 | 四一・一〇~四三・九 | 四八・一〇~五二・九 | ||
九〃 | 四三・一〇~四五・一〇 | 五二・一〇~五六・九 | ||
十〃 | 四五・一一~五一・九 | 五六・一〇~ | ||
十一〃 | 五一・一〇~五三・九 | |||
十二〃 | 五三・一〇~五五・一一 |
(「大田原市教育委員会資料」) |