藤沢分校

1163 ~ 1165
藤沢分校については、「佐久山小学校沿革誌」によると次のように記されている。
己に昭和の初めに分校設置の議が地域の人々からあったが、町財政上許されず暫く沙汰やみとなっていた。しかし本地区方面の入学児童の急増と通学距離の問題から再燃し、折よく開拓者の子弟を対象とする建築費の県費補助の交付を受け、昭和二十八年藤沢・琵琶池・大神前新田の三地区を学区とし、二年生までを収容することで認可となる。
建築材料は金田村の江部氏の酒倉を購入、新旧材をもって建設す。敷地は藤沢の金沢東一郎の畑地を部落の共有と交換、三地区の労力奉仕によって二反歩を整地し、昭和二十九年六月落成、同月十日に開校された。
地番 大田原市藤沢一四三の二
工費 七〇万円(公仕室の建具類は部落の現物寄付による)
敷地 部落寄付
施設 運動具の固定施設(部落寄付)
昭和三十五年四月入学児減少のため一、二年の複式学級となる。同年八年水道施設並手洗場完工、同三十六年四月複式学級解消のため一年生のみとし、二年生より本校に統合す。

 昭和四十一年十二月十七日、教育委員会において四十一年度をもって廃校とすることに決定した。第5表は児童数の移りかわりを示す。
第5表 児童数の移りかわり
年度児童数合計学級数職員数年度児童数合計学級数職員数
昭和三〇二五二一四六昭和三六一〇一八
三一一八二四四二三七一四一九
三二二〇二一四一三八一一
三三一九二四四三三九一一一七
三四一八二四四二四〇一三一八
三五一四一六三〇四一一五

施設 (イ)校舎二一三平米。
        普通教室二 一三二平方米
        管理関係他  八一平方米
   (ロ)敷地一、九八三平方米
        屋外運動場 一、〇三一平方米
        建物敷地その他 九五二平方米
(「佐久山小学校沿革誌」)