第二次世界大戦後

1168 ~ 1170
第二次世界大戦の敗戦後、ただちに文部省社会教育局が復活され、広範な活動を開始した。国の政策として、はじめは国体護持を中心目標にしたが、まもなく、占領政策の線に沿っての民主々義の普及に切りかえた。民主社会の社会教育は、政府や公共団体の宣伝教化ではなく、民間人による自主的な相互教育活動であるということが確認され、このような活動を活発化するための環境や条件の整備が、国や地方公共団体の任務であるということになった。この観点から、戦後は社会教育に関する法規が整備された。
 昭和二二年三月制定された教育基本法では、教育活動が学校にだけ限定されず、「あらゆる機会、あらゆる場所において」おこなわれるべきこと(二条)、とくに、「家庭教育、勤労の場所その他社会においておこなわれる教育は、国および地方公共団体によって奨励され」るべきこと(七条)、そのためには、国や地方公共団体は「図書館・博物館・公民館などの施設の設置」その他のことをしなければならないこと(同条)を規定した。これをうけて、昭和二四年には社会教育法が、翌二五年には図書館法が、二六年には博物館法が成立し、社会教育に対する公的機関の果たすべき役割が明らかにされた。
 法によれば、社会教育は、本質的に国民自身の間の相互教育、相互学習の活動として、正規の教育課程としての学校教育活動以外の領域をすべて包むものであるとし、二領域観に立っている。また、公的機関は、(1)環境整備として社会教育施設を設置・維持すべきこと、(2)青年学級・社会学級・社会教育講座などを、無料または低廉な教育機会を提供すべきこと、(3)施設や行事を運営し、民間人に社会教育上専門的技術的な助言と指導を与える者として、教育委員会は教育公務員としての社会教育主事を設置すべきこと、(4)行政の立場から社会教育計画の立案、意見反映、必要な研究調査などに携わる者として、民間人の社会教育委員を、教育委員会が委嘱すべきことなどを規定している。さらに法は、「公の支配に属しない団体で、社会教育に関する事業をおこなうことを主たる目的とする」団体を、社会教育関係団体と規定し、これに対する政府および教育委員会の指導助言や物資確保の援助、補助金交付などを規定している。
 しかし、日本の場合、自他ともに社会教育関係団体と認めていない団体のほうが、社会教育活動を活発に展開している事例も少なくない。法的に認定された関係団体の多くが、本質的には戦前の修養団体や教化団体であるというところに問題がある。
 第二次大戦後は、技術革新・エネルギー革命の中で、全世界的に社会変動が激しくなった。このため、学校教育の十数年間で、生涯の生活にそなえうるという生活準備主義の教育観にいきづまりを生じた。学校で習得した内容の多くのものが、学校を終えるころには無価値になっている時代がやってきた。この観点から、社会教育の重要性が再認識され、全世界的に関心が高まった。こうして、昭和三五年ごろから「生涯教育」の語が世界語となった。フランスではこれを「永久教育」ともいっている。
 学校教育は、生活準備教育でなく、生涯教育の準備として、全生涯を一貫する教育計画の中に統合されねばならず、職業教育と教養教育もまた、人間教育の中に統合されねばならない。現代の社会教育は、このように統合生涯教育に発展してきた。
(「大日本百科辞典」小学館)