町村是に見る社会教育

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明治十九年、文部省官制に「通俗教育」ということばが法令に登場し、大正十年ごろ「社会教育」が正式に使用されるまでは、通俗教育時代ともいわれる時代であった。
 大正から昭和にかけて、社会教育の行政機構も整備されはじめ、青年、婦人を中心に展開されたが、教化活動の傾向が強かったようである。
 町村是は大正四年十月内務部長訓達によって制定されたもので、制定の綱要によれば「市町村是ハ市町村自治ノ方針トナルモノトス」とあり、さらに、実行要目に「教育ノ進歩及社会教化ノ普及ヲ図ルコト」等の五項目が示されている。
 大田原町は大正五年二月「町是」を制定したが、関係する項目の部分のみ抜粋すれば、次のとおりである。
  教育の進歩を図る事
   一、青年団ヲ奨励スル事
   二、実業補修教育ノ普及ヲ図ル事
 大正十年八月の改訂により、第二期の大田原町是は、教育の進歩を図ること
   一、学齢児童保護会ヲ組織スルコト
   二、実業補修教育ノ普及ヲ図ルコト
   三、青年団処女会ヲ奨励スルコト
(大田原・第八八)

 大正十一年一月「那須郡野崎村村勢要覧」による野崎村是実行要目によれば、
 
  第二部教育進歩及社会教育普及ヲ図ルコト
  一、不就学者及欠席児童ヲ少ナカラシムコト
  一、学校ト家庭トノ連絡ヲ図ルコト
   (イ)父兄懇話会ヲ毎年一回各学校ニ於テ開催スルコト
   (ロ)年一回学芸練習会ヲ開キ父兄出席シテ状況ヲ参観シ教育上ノ打合セヲナスコト
   (ハ)各学校ニ於テ毎学期児童成績物ヲ家庭ヘ廻覧スルコト
  一、実業補習教育ノ振興ヲ図ルコト
   (イ)二十年未満ノ子弟ハ必ス補修学校ヘ出席セシムル様奨励スルコト
   (ロ)適当ナル時期ヲ選ビ各部落ニ於テ一夜講習ヲ開クコト
  一、青年団及処女会ノ活動ヲ図ルコト
   (イ)年一回修養講話会ヲ開クコト
   (ロ)年一回学校ト連合シテ運動会ヲ開催スルコト
   (ハ)適当ナル時期ヲ視テ臨時会ヲ開キ意見ノ交換及娯楽ヲナスコト
   (ニ)青年団ニハ道路修繕ヲ請負ハシムルコト
  一、通俗教育ノ普及ヲ図ルコト
   (イ)年一回通俗講話会ヲ開催スルコト
   (ロ)掲示場ヲ利用スルコト
   (ハ)各学校ニ於テ毎月学校便ヲ発刊シ家家ト連絡ヲ計ルト共ニ社会教育ヲナスコト
と制定され、かなり具体的に内容が示されている。これらについては、町村是実行組合等の機関を組織して、その目的を達成するために、住民と協力実現に努力したのである。
 大田原町是実行委員数は、一五〇名の多くを数える。