公民館のあゆみの概要

1178 ~ 1183
大田原市合併以前の各地区の公民館は、
  大田原町公民館(昭二五・四・一設置)
   初代館長 伴定重
   二代〃  細小路丑松
   三代〃  飯島博(館長心得)

大田原町公民館・那須庁舎別館(昭和29年代)


大田原公民館(青年研修所)

  金田村公民館(昭二七・九・二九設置)
   初代館長 小松兼蔵
  親園村公民館(昭二五・四・一設置)
   初代館長 高瀬伝
   二代〃  平山林
   三代〃  志鳥謙二
  野崎村公民館(昭二七・四・一設置)
   初代館長 渡辺哲雄
  佐久山町公民館(昭二二・九・一設置 昭二四・九・一設置条例)
   初代館長 福原達郎
   二代〃  森大暁
 大田原市合併当時の各地区公民館は、
  大田原公民館(昭二九・一二・一)
   四代館長 細小路丑松
   五代〃  松本静
  金田公民館(昭二九・一二・一)
   二代館長 磯秋吉
   三代館長 熊田幸治
  親園公民館(昭二九・一二・一)
   四代館長 森重
   五代〃  伴忠夫
  野崎公民館(昭二九・一二・三一)
   初代館長 渡辺哲雄
   二代〃  高橋博
  佐久山公民館(昭三〇・四・一)
   三代館長 石崎正明
   四代〃  阿美秋二郎
 合併後も公民館は旧町村地区ごとに運営され、社会教育のセンターとして活躍していた。しかし、同三十五年十月一日、以前の並列公民館の形態を総合形態に改め、各町村ごとの公民館を地区公民館とし、中央に本館を設置して、大田原市公民館と称した。
 大田原市公民館(本館大田原市大田原二、七一五番地の二)
   初代館長 黒尾東一
   二代〃  伴忠夫
   三代〃  松本静
   四代〃  熊田幸治
  大田原地区公民館(一四分館)
   五代館長 松本静
  金田地区公民館(二六分館)
   三代館長 熊田幸治
   四代〃  桜岡米蔵
  親園地区公民館(八分館)
   五代館長 伴忠夫
   六代〃  森重
   七代〃  国井武志
  野崎地区公民館(六分館)
   二代館長 高橋博
   三代〃  大田原晴雄
  佐久山地区公民館(一八分館)
   四代館長 阿美秋二郎
 本館並びに地区公民館の建設
  大田原市公民館(本町三~三 大田原総合文化会館併設 昭四四・一一・二六完成)
  金田地区公民館(中田原一、三五〇 昭四四・五・七完成)
  親園地区公民館(親園二、九三九 昭四五・五・九完成)
  野崎地区公民館(薄葉二、二八一~四 昭四五・五・九完成)
  佐久山地区公民館(佐久山二、〇三三 昭四三・四・三〇完成)
  自治公民館 八八館(昭五四現在)
 昭和四十四年、市民待望の大田原総合文化会館が完成し、社会教育振興の拠点を得て、教育活動がより活発となり、地区公民館・自治公民館と共に、総合調整のもと社会教育のセンターとしての使命を果しているのである。