大田原町青年訓練所
大正十五年七月開所、在籍生徒一〇〇名、主事石下浩(「郷土教育資料」)。
金田青年訓練所
大正十五年七月開所、金田農業補修学校に併設。生徒数九一名、主事花崎義通。
金田南青年訓練所
大正十五年七月開所、金田南農業補修学校に併設、生徒数七四名、主事植木貞三郎(「金田村郷土誌」)。
佐久山青年訓練所
大正十五年七月開所、実業補修学校を充てる。生徒数六五名(「郷土地誌資料」)。
野崎青年訓練所
大正十五年七月薄葉・石上・豊田(現矢板市)の三ケ所に訓練所を設置したが、昭和四年三月三訓練所を合併する。生徒数六一名、修了者六六名(「郷土の研究」)。
大正十五年七月開所、在籍生徒一〇〇名、主事石下浩(「郷土教育資料」)。
金田青年訓練所
大正十五年七月開所、金田農業補修学校に併設。生徒数九一名、主事花崎義通。
金田南青年訓練所
大正十五年七月開所、金田南農業補修学校に併設、生徒数七四名、主事植木貞三郎(「金田村郷土誌」)。
佐久山青年訓練所
大正十五年七月開所、実業補修学校を充てる。生徒数六五名(「郷土地誌資料」)。
野崎青年訓練所
大正十五年七月薄葉・石上・豊田(現矢板市)の三ケ所に訓練所を設置したが、昭和四年三月三訓練所を合併する。生徒数六一名、修了者六六名(「郷土の研究」)。
なお親園地区については記録がなく不明であるが、各地区と同様に訓練所が設立されたものと考えられる。
青年訓練所の内容についてふれてみよう。「大田原青年訓練所規則」によると「青年ノ心身ヲ鍛錬シテ国民タル資質ヲ向上セシムルヲ以テ目的トス」(第一条)とあり、教科は修身・公民科・教練・普通科・職業科(第二条)とあるが、軍事教練が教科時間の半数を占め、その主体をなしている。対象は一六歳~二〇歳までの男子勤労青少年とした。
本市の場合も他市町村と同じく、青年訓練所は実業補修学校に併設されており、教科内容も重複するところが多く、当局は二重経営に悩まされたものと考えられる。そこで昭和十年になって、実業補修学校と青年訓練所が運営を合理化するために統一され、青年学校に編成がえされて、青年学校の義務制が生じてくることになるのである。