明治維新の神仏分離の政策によって、国家神道の国策が実施されることになったのは前記のとおりであるが、更に明治三年(一八七〇)一月には大教宣布の詔が発せられ、国民教化の基準として、敬神愛国、天理人道、皇上奉戴という、いわゆる「三条の教則」が制定されるにおよんで、神道国教の国策が、中央から地方へくまなく行き渡るようになるのである。
明治四年(一八七一)五月には神社制度が確立し、全国の神社は社格を定められて、以後中央集権的に編成されていったのである。
社格には、神宮・官幣社(大・中・小)・国幣社(大・中・小)・府県社・郷社・村社・無格社の別があり、社格ごとにそれぞれの格式を重んじられたのである。
本市においては、県社以上の神社はないが郷社として大田原神社(山の手)・温泉神社(市野沢)・那須神社(南金丸)・八幡宮(福原)の四社が定められ、他は大字ごとに祭られている村社や無格社である(「前編」神社総説参照)。
また社格に応じて、国や県・市町村から費用の負担も行われるようになったのである。