寺院

1298 ~ 1299
明治初年の神仏分離以後、神社は前記「大教宣の詔」の国家神道の国策にのって、神道国教化の方向をめざしたのに対して、仏教各宗は直接的には国政から分離されることとなった。
 従来、江戸幕府の保護下にあって、寺院統制や檀家制度によって、幕府政治の一端を担っていたのであるが、新政府が王政復古の方針を掲げることによって、政治的・行政的保護は廃されたのである。具体的には明治政府の国家神道の方針によるものであるが、経過をたどると次のようである。
 明治三年(一八七〇)無住の寺院調べから明細書提出にはじまり、同五年(一八七二)太政官布告による廃寺命令により、無檀家・無住寺院や堂宇は廃寺、あるいは既設寺院に帰属しなければならなくなったのである。
 本市においては、三四の寺院が廃寺となっており、それらの創建年代、廃寺年代ともに明確にできないが、「大田原市史前編」寺院総説・別表二に廃寺一覧が記されているので、参照されたい。
 一方、明治以降に創建された寺院は次のとおりである。
寺名所在地宗派創建開山開基本寺
遍照院本町真言宗明治十七年(一八八四)及川照龍師成田新勝寺
護法寺荻野目日蓮宗昭和二十三年(一九四八)中島本要大田原正法寺
本光寺佐久山日蓮宗昭和十年(一九三五)慈朝院晃上人大田原正法寺