天理教大田原分教会(中央一)

1314 ~ 1315
 大田原分教会は、明治三十四年(一九〇一)三月一日栃木県那須郡大田原町五四六番地にて、北山与作を初代会長として許しを頂いた。この大田原分教会の道は、それより以前深川大教会(東京)の信者立場藤吉が商用で大田原へ出張して宿屋へ泊った時、そこの女中が急病になって苦しんでいるので、おさづけ(神様にお願い)を取次いだ処鮮やかな御守護を頂いた。これが評判になって神名が八方に広がり、入信する者がだんだんと増えてき、やがて大田原講社が結成されるようになった。明治二十六年の頃である。
 その後この大田原講社が基となって教会設置へと進むが、適当な担任者がないために、深川大教会の役員としてつとめていた北山与作を迎えて教会設置のお許しを頂いた。その後も教勢がだんだんと延び、大正十四年(一九二五)一月二十八日部内教会として、東金分教会が大田原市富池五九七番地に設立されたのである。

(「天理教大田原分教会調書」)