天理教金丸分教会(北金丸)

1315 ~ 1316
 明治三十三年(一九〇〇)七月、新江フヨなる者本人の病気と代々夫に若くして先立たれるという事情で、フヨ本人も夫に三十代で亡くなられ、幼い子を残されていた。そのような事から親族より勧誘に依り入信し、身上(病気)も御守護頂き、それより近在を布教しおり、後大正七、八年頃箒根村上大貫より井上兼蔵氏来り、布教専念、同十三年(一九二四)十月十二日、教会を設立し今日に至る。

(「天理教金丸分教会調書」)

 次の調書は、大田原町から県へ報告した天理教に関する文書である。大正時代における教会の状況の一部をうかがうことができよう。
 
大正十三年二月七日
                                 大田原町長 若林五郎平
 庶務課長 荒政男 殿
那社第六六号御照会之件取調候処在記之通リニ候条此段及回報候也
   記
一、教会名称 天理教東大教会深川分教会大田原宣教所
一、所在地  大田原町二千三百六十番地
一、宗教名  天理教
一、設立者  村上勇治
一、宣教所長 村上勇治
一、設立許可年月日 明治三十四年六月二十九日

(大田原・第四一)