大田原地方には、以前から短歌や俳句・川柳などを好む者が多く、個人的なものから同好者による団体を組織するものまでかなり広範囲にわたって、歌会・句会などの活動が盛んである。こんな風潮の中で国井淳一(親園)は昭和四年、詩集「雑草に埋れつゝ」を出版している。
同好の会は、それぞれに歌集や句集を刊行して地方の文化、教養の向上に貢献しており、本市内の社寺の境内や公園などには、同好者の手によって歌碑や句碑が建てられているので次に紹介する。
はてしなく浮世の人にみするかな那須の野面のほろのいしぶみ 飯岡重武
(親園・湯殿山神社境内入口)
文化九年(一八一二)蒲盧の碑を建立した八木沢陣屋代官山口鉄五郎手代飯岡重武の和歌で蒲盧の碑の裏面に刻んである。
短歌
御題川 選歌
伏流の蛇尾川原に水湧きて流るる音す夕立のあと 堀田慎之
(城山・籠城公園)
ひがらのむれ日がないち日こもりつつ白雲木のかれ葉をおとす 高野はま
(本町・成田山境内)
雲迷ふ那須野をかぎる山脈のはろばろとして行方しらずも 竹尾ちよ
(福原・愛宕山)
花になれ実をもむすべといつくしみ共にはげまん子育ての道 向井キチ
(佐久山公民館)
ゆく鳥はゆかせきたるは遊ばせて寺うら山の古きけや木 木多美取
(山の手・光真寺境内)
那須原に秋たつ風の末みえてかやの穂なびく遠きはてまで 大野杢太郎
(城山・龍城公園)
夫婦歌碑
もつれいときるなと母のいましめの歌ありものぬふたひにとのふる 洋子
妻子をおきていなむとす親園村わかつれにくるはいつの頃にか 西海石四郎
(親園・薬王寺境内)
両人とも若山牧水の創作社主宰長谷川銀作師の高弟で、当時の恩恵の厚さを忘れ難く建立した歌碑である。
俳句
花の蔭謡に似たる旅寝哉 芭蕉
(佐久山・正浄寺境内)
かさねとは八重撫子の名なるべし 曽良
(実取・旧日光街道)
霧ふぶき我身失う火口壁 森大暁
(佐久山・実相院境内)
山眠ることを許さず噴煙立つ 川島南穂
(山の手・光真寺境内)
囀りにためらひもなく身を任す 佐野規魚子
(城山・龍城公園)
柴陽花の色をかそえて昨日今日 楳庵
(山の手・光真寺境内)